田母神村(読み)たもがみむら

日本歴史地名大系 「田母神村」の解説

田母神村
たもがみむら

[現在地名]郡山市田村町たむらまち田母神たもがみ

糠塚ぬかづか村の東、阿武隈高地山間に立地。守山もりやま村から磐城への道が通る。中世は田村庄に含まれ、永禄一一年(一五六八)七月吉日の熊野山新宮年貢帳(青山文書)に「六段 五百七十文 田も神 柳はし一丁」とみえ、紀州熊野新宮に年貢五七〇文を納めている。天正一四年(一五八六)一〇月一三日の熊野山新宮年貢帳(同文書)には「六段 三百文 田茂上」とある。同一八年一〇月九日の熊野新宮領差出帳(片倉文書)では、当地の六段の地から五一七文を納めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む