町奉行町
まちぶぎようちよう
[現在地名]和歌山市元町奉行丁一―二丁目
中町の南に並行した武家町。元禄一三年(一七〇〇)の和歌山城下町絵図では通りの両側に三〇余の武家屋敷が並び、中央南側に町奉行所があった。奉行所は東御番所と西御番所からなる。享和四年(一八〇四)の国初御家中知行高(和歌山県立図書館蔵)によれば町奉行は高四〇〇石で、「南紀徳川史」には月番制とあり、東西両御番所に各与力三騎、同心二五人、書役三人が属して町政いっさいを管理していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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