… 一方,中世では地子といえば畠租を指す場合が多い。律令制の下では元来畠地は公的な賦課の対象ではなく,私的用益にゆだねられていたが,早くも平安初期には〈畠地子〉の名称が現れている。844年(承和11)10月11日付で出された阿波国牒が,東大寺に対し来年以降新嶋地,大豆津圃,勝野郡地等合わせて53町歩余からの畠地子勘徴を認めているのはその例である。…
…田地は年貢の賦課基準であり,反別に斗代(とだい)が定まっていたが,年貢は米のみであったのではなく,交易によって絹,糸,鉄などが年貢となることも広くみられた。 畠地は全体として検注が遅れているが,麦・豆類の畠は田地と同様に区分され,畠地子(はたじし)が賦課された。ただ伊予国弓削島荘のように交易畠があり,麦と塩を交易して塩年貢を出している場合もある。…
…なお年貢には紅花などが付加税として加徴されたり,交分(きようぶん)あるいは斗増分(口米)と称し,米が加徴されることが多かった。 畠の年貢すなわち畠地子(はたじし)は,麦,大豆,粟,蕎麦などの雑穀をもって納め,麦地子は反別1斗ないし2斗の場合が多かった。また伊予国東寺領弓削島(ゆげしま)荘や同国醍醐寺領大島荘のように,塩をもって年貢とした特殊な荘園もあった。…
※「畠地子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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