地子(読み)じし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

地子
じし

「ちし」とも読む。律令制下においては,諸国の官有地を農民に貸付けて上納させた地代をいい,定額は収穫の5分の1であった。位田職田,没官田,乗田など地子を納める田を輸地子田といった。荘園制下の地子は,田地に課せられる年貢に対して,公事,ことに畑や屋敷に課せられる税を意味し,銭納の場合が多かった。江戸時代においては,地子はもっぱら町地に課せられる税の意に用いられ,銀あるいは銭をもって納めた。

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百科事典マイペディアの解説

地子【じし】

古代〜近世の地代(じだい)の一形態。古代では班田収授した余りの乗田(じょうでん)などを,国家が農民に小作させることを賃租(ちんそ)と呼び,賃租料を地子と呼んだ。当時の地子は収穫の1/5であった。荘園制下では荘園領主の直轄地を散田(さんでん)・間田(かんでん)と呼び,作人(さくにん)に耕作させ,その小作料を地子と呼んだ。この場合,地子は年貢の代りであった。中世の地子は畠に賦課されることが多く,〈畠地子(はたじし)〉の呼称もみられる。銭納される地子もあり,地子銭とよばれた。近世では,市街地の家屋敷などに賦課された年貢の一形態(貨幣で徴収)を地子と呼び,従来の生産物地代に対して貨幣地代と認識された。→加地子
→関連項目請作愛智荘大国荘鹿田荘宿・宿駅田辺町人松山(岡山)八幡惣町輸租田

地子【ちし】

地子(じし)

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世界大百科事典 第2版の解説

じし【地子】

日本の古代~近世における田畠屋地などからの収納物の名称の一つ。時代の推移,制度の変化により,その内容にはかなり差異が見られる。
[古代,中世]
 古代律令国家の土地国有制の下では,田地は輸租田不輸租田,輸地子田に区別されていた。《延喜式》主税式の定めるところでは,位田・職田(しきでん)・国造田采女(うねめ)田・膂力婦女田・賜田等の未授の間,および遥授国司公廨田(くがいでん)・没官田・出家得度田・逃亡除帳口分田・乗田(じようでん)が輸地子田とされている。

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大辞林 第三版の解説

じし【地子】

〔「ちし」とも〕
律令制下、公田こうでんを農民に貸し、その収穫の5分の1を賃貸料として納めさせたもの。
平安時代、荘園領主が田地を田堵たとに請作うけさくさせて徴収した小作料。
平安末期以降、田地以外の畑地や家屋敷地に対する賦課。鎌倉末期には銭納化が進んだ。
室町時代以降、都市の屋敷地に対する宅地税。原則として銭納。屋地子。
広く、借地料や田租をいう。 「年に一斗の-はかるなり(去来)/猿蓑」

ちし【地子】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

地子
じし

田畑などの耕地、および屋敷などの賃貸料として課せられるもので、律令制(りつりょうせい)以来、1873年(明治6)の地租改正に至るまで行われた前近代的地代の一つ。時代により内容、性格に変化がある。律令制下では公田(こうでん)(口分田(くぶんでん)を班給した残りの田地=乗田(じょうでん)や、寺神田など)は、1年を期限として農民に小作させることを許し、春の耕種前に賃貸料として官に納めるものを賃(ちん)といい、秋の収穫時に出す場合を租(そ)と称し、この賃租の料米を地子と称した。いずれも収穫の5分の1が定額であった。8世紀にはこのような公田で賃租を行い地子を給する田地を輸地子田(ゆじしでん)とよび、『延喜式(えんぎしき)』では、位田(いでん)、職田(しきでん)、国造田(こくぞうでん)など数種の田地が指定された。畑地は律令制では租徴収の対象に入らなかったが、719年(養老3)に地子粟反別3升を収取することが定められ、麦、大豆、ソバなどで徴収された。また在地の私領主が私領の農民から請作(うけさく)料として、反別1~3斗ぐらいの米を徴取することが慣例化し、荘園(しょうえん)年貢、地子と区別してこれを加地子(かじし)とよんだ。14世紀以降では市街地の宅地税を屋地子(やじし)といい、銭貨で徴収したので地子銭(じしせん)と称したが、戦国期以来、地子はほとんど宅地に課するものに限られるようになった。[島田次郎]

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精選版 日本国語大辞典の解説

じ‐し ヂ‥【地子】

〘名〙
① 奈良・平安時代、公田(こうでん)の賃租料。口分田を班給して余った公田を乗田(じょうでん)といい、これを農民に耕作させ、収穫の一部を国家が収納した。これを地子という。国家を地主と見れば小作料にあたる。地子の割合は平安初期、延喜(九〇一‐九二三)のころで大体収穫の五分の一であった。中央の太政官の厨に送られる。
※東南院文書‐天平宝字元年(757)一一月一二日・越前国使解「謹依宣旨、当年地子并田並雑物勘定、去七八九三箇年公文、副附寺家舎人粟田人麻呂、謹申送」
※栄花(1028‐92頃)うたがひ「国々の守ども、地子、官物は遅(おそ)なはれども、ただ今はこの御堂の夫役、材木、檜皮(ひはだ)、瓦多く参らする業を、我も我もと競ひ仕まつる」
② 平安時代以来、荘園で領主が田地を請作(うけさく)させ、収取する作料。また、荘園内の地主が田地を小作させて取る小作料。→散田(さんでん)
※東南院文書‐寛和三年(987)二月一日東大寺符「去年以往随作、弁進其地子、当年春時各進請文
③ 荘園からの収入。所有する土地からの収入。
※御堂関白記‐寛弘元年(1004)閏九月一三日「故東三条院従美濃庄奉地子絹八十疋、加他絹二十疋
④ 地代。奈良時代以降、市街地や家地(やち)に居住し、占有することによって支払われる金銭・物品。また、地税。室町末期以降、市街地の宅地税。地子銭。
※三代格‐一六・寛平八年(896)四月二日「望請停止諸寺新勘家地地子、禁制百姓恣伐山中樹木
⑤ 広く、土地の使用料。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※浮世草子・好色万金丹(1694)二「店先の大道に円座一枚敷て、番椒(とうがらし)売る者も、月に一歩の地子(ぢし)を出し」

じっ‐こ ヂッ‥【地子】

〘名〙 海苔(のり)の養殖で、自分の所の養殖場で育った海苔の胞子によって付着したたねをいう。

ち‐し【地子】

〘名〙 ⇒じし(地子)

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世界大百科事典内の地子の言及

【請作】より

…農民が国衙や荘園領主から公領・荘園の田地のあてがいをうけて耕作すること。9世紀後半から10世紀にかけて,国家の営田や荘園において,いわゆる地子田経営がおこなわれるようになる。これは当時〈力田之輩〉とか〈有能借佃者〉〈堪百姓〉などと呼ばれる有力農民=田堵(たと)の成長が見られたのに応じて,律令国家・国衙や荘園領主が彼らに田地を割り当てて耕営せしめ,地子(じし)を弁進させた経営方式である。…

【近世社会】より

…この年貢部分は多くの領主にとって米であるが,たとえば長州藩では紙も重要な現銀収入の資となっている。このような蔵物の換貨と必要物資の供給者として三都や城下町その他の商人が必要であり,彼らは町造営の初期には地子免除の特権などを与えて領内から招致している。また領主層の広範な需要を満たすために,各種の加工業に従事する職人層も町に集められ,城下町には各種の職人町がつくられた。…

【地子田】より

…日本古代および中世において地子という名目で収穫の一部が耕作料として支払われ耕作されていた田地のことをいう。《延喜式》では〈位田,職田,国造田,采女田,膂力婦女田,賜田等未授の間,および遥授国司公廨田,没官田,出家得度田,逃亡除帳口分田,乗田〉が輸地子田と定められている。…

【町】より

…こうした町名をもつ町の場合,同業者が集住していたというだけでなく,近世初頭に城下町ができたとき,領主側の必要によってつくられたのである。領主側は町人町に対しては農村とちがって年貢をとることなく,地子免除にしている例が多く,その代りに町々は人足役や伝馬役,そして領主御用の負担を課される。城下町がつくられたときに,職人や商人への統制を強め,御用の負担をさせるために計画的に町人町をつくったのである。…

【地子】より

…時代の推移,制度の変化により,その内容にはかなり差異が見られる。
[古代,中世]
 古代律令国家の土地国有制の下では,田地は輸租田,不輸租田,輸地子田に区別されていた。《延喜式》主税式の定めるところでは,位田・職田(しきでん)・国造田・采女(うねめ)田・膂力婦女田・賜田等の未授の間,および遥授国司公廨田(くがいでん)・没官田・出家得度田・逃亡除帳口分田・乗田(じようでん)が輸地子田とされている。…

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