百済慶命(読み)くだらのきょうみょう

朝日日本歴史人物事典 「百済慶命」の解説

百済慶命

没年:嘉祥2.1.22(849.2.18)
生年:生年不詳
平安前期の女官。百済の義慈王子孫である百済王氏教俊の娘。嵯峨天皇に愛され,弘仁5(814)年に善姫,翌年定,また鎮,若姫を生む。子供たちは源朝臣姓となった。淳和天皇譲位後,嵯峨太上天皇は大覚寺前身の嵯峨院(右京区嵯峨大沢町)に住んだが,慶命は別宮の小院を与えられた。定は淳和天皇の猶子となり,女御永原亭子を母として愛育されたという。慶命は礼則に長じ,後宮権力を持っていたといわれ,承和3(836)年尚侍となった。従二位で死去したのち従一位を追贈。同じく百済王氏の貴命は嵯峨天皇の女御であったが,従四位下で亡くなっている。

(児島恭子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「百済慶命」の解説

百済慶命 くだらの-きょうみょう

?-849 平安時代前期の女官。
百済教俊の娘。嵯峨(さが)天皇の後宮にはいり,弘仁(こうにん)5年善姫を,ついで2皇子(のちの源定(さだむ),源鎮(しずむ)),若姫を生む。礼則に長じ,天皇に愛され,権勢ならびなかったという。従二位,尚侍(ないしのかみ)にのぼり,嘉祥(かしょう)2年1月22日死去。従一位を追贈された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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