朝日日本歴史人物事典 「百済慶命」の解説
百済慶命
生年:生年不詳
平安前期の女官。百済の義慈王の子孫である百済王氏教俊の娘。嵯峨天皇に愛され,弘仁5(814)年に善姫,翌年定,また鎮,若姫を生む。子供たちは源朝臣姓となった。淳和天皇譲位後,嵯峨太上天皇は大覚寺前身の嵯峨院(右京区嵯峨大沢町)に住んだが,慶命は別宮の小院を与えられた。定は淳和天皇の猶子となり,女御永原亭子を母として愛育されたという。慶命は礼則に長じ,後宮に権力を持っていたといわれ,承和3(836)年尚侍となった。従二位で死去したのち従一位を追贈。同じく百済王氏の貴命は嵯峨天皇の女御であったが,従四位下で亡くなっている。
(児島恭子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報