朝日日本歴史人物事典 「源定」の解説
源定
生年:弘仁6(815)
平安前期の公卿。正三位。四条大納言,賀陽院大納言,楊梅大納言と称される。嵯峨天皇皇子で母は百済王慶命。賜姓源氏。母が天皇の寵妃であったためか幼少より父の愛厚く,父の退位後,淳和天皇に預けられ猶子となった。淳和はわが子以上に定を寵愛し,妃の永原氏に養育を託したことから世に「定には二父二母あり」といわれた。14歳のとき淳和天皇は親王にすることを嵯峨上皇に請うたが許可されなかった。貞観1(859)年,大納言に昇る。宮廷の奥に育ち性質は温厚で上品であったという。音楽を愛し,家には常に鼓と鉦を置き,公務を退くとこれに耳を傾けたという。
(朧谷寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報