朝日日本歴史人物事典 「目黒道琢」の解説
目黒道琢
生年:元文4.3.10(1739.4.17)
江戸中・後期の医者。陸奥国会津柳津(福島県柳津町)の人。名は尚忠,字は恕公,号は飯渓。畠山氏を祖とする豪農の家に生まれたが,江戸に出て曲直瀬玄佐(7代目道三)の門に入り医を学び,塾頭となる。学問,医術ともにすぐれ,松平定信の信任を受けて医学館(躋寿館)の教授に招かれ,34年間にわたって医経を講義した。市井の医者としては破格の扱いを受け,寛政10(1798)年には将軍徳川家斉に謁したがこの年没した。江戸の考証医学を興した重要人物として,また臨床医学方面の業績も高く評価されている。
(小曾戸洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報