日本の城がわかる事典 「矢板城」の解説 やいたじょう【矢板城】 栃木県矢板市にあった平城(ひらじろ)。築城者・築城時期を含め、くわしいことはわかっていない。平安時代末期に、下野国塩谷郡を領地としていた塩谷氏の重臣の矢板重郎盛兼によって築かれたとも、平安時代末期に塩谷氏の祖の堀江惟頼が居住していたともいわれる。現地の城址に建っている碑文によれば、1558年(永禄1)、上杉謙信が多功城(宇都宮城の支城、同県河内郡上三川町)を攻めた際、矢板城主の矢板周防守長則が多功城に加勢して戦い討ち死にしている。1590年(天正18)あるいは1644年(正保1)に廃城になったとされる。矢板城跡は廃城後、「たたり山」と呼ばれて人が近づかず、そのため土塁などがそのまま残ったといわれる。しかし、明治時代に入って学校などが建設されて、城の遺構が徐々に破壊され、また土塁も矢板駅の建設や近くの窪地の埋め立てに使われて破壊されてしまったため、現在、城跡の遺構はほとんど失われている。JR東北本線矢板駅から徒歩約10分。◇矢板館とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報