矢追 日聖(読み)ヤオイ ニッショウ

20世紀日本人名事典 「矢追 日聖」の解説

矢追 日聖
ヤオイ ニッショウ

昭和期の宗教家,社会福祉事業家 大倭教教祖;(福)大倭安宿苑。



生年
明治44(1911)年12月23日

没年
平成8(1996)年2月9日

出生地
奈良県生駒郡富雄村(現・奈良市中町)

学歴〔年〕
立正大学史学科〔昭和9年〕卒

経歴
父親の代に生家が大倭神宮として宗教活動を始め、戦後それを継いで活動する。昭和22年敗戦で街にあふれる浮浪児などを集め、終身保障制の地域共同社会“紫陽花邑”を築き、救護施設、老人ホームなどを内包する“ムラ”を形成。31年(福)大倭安宿苑を創設し、38年ハンセン病回復者復帰センター交流の家を、62年大倭病院を設立。著書に「やわらぎの黙示」「ながそねの息吹」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報