日本歴史地名大系 「石見銀山領村々覚」の解説
石見銀山領村々覚
いわみぎんざんりようむらむらおぼえ
一冊
成立 元禄一〇年
写本 川本町三上家
解説 表紙には元禄一一年の「覚書」とのみ記されるが、同一〇年の各村々の書上を翌一一年に写したものである。覚書は石見国銀山付御料(石見銀山領)一五一ヵ村を組別(佐摩・久利・大田・九日市・大家・波積)に列挙し、同一〇年現在の各村の現勢・年貢高・寺社領などを掲げ、組ごとに集計している。石見銀山領では同年閏二月一〇日藪役を廃して山役徴収を令した(観聴随筆)。この改正に関連してこの覚書が作成されたことは、「当年より山役銀相納申候」として「百姓山丑御下札前」と百姓持山の項を特記していることからも推定できる。ただし家数について「寅春改高」、伝馬場(助郷役)の増設について「午八月廿八日より伝馬場ニ成」などの記載があり、筆写時やのちに追記された内容もある。覚書を通じて石見銀山領村々が土地柄不相応な高率年貢地帯であること、村落は本家(高持百姓)と門屋(無高小作)から構成され、各村とも門屋層の比率が比較的高いなどの特色がうかがえる。なお門屋は明和頃の宗門改帳から借家小作と表示される。
活字本 一部が「郷土石見」に「元禄十一年石見銀山料村々覚書」として活字化されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報