碇町(読み)いかりまち

日本歴史地名大系 「碇町」の解説

碇町
いかりまち

[現在地名]檜山江差町字陣屋町じんやちようなど

近世から明治三三年(一九〇〇)まで存続した町。寺小屋てらこや町の東に続き、東は山地、南は武士ぶし川を挟んで五勝手ごかつて村。横巷十九町の一(「蝦夷日誌」二編)。「西蝦夷地場所地名等控」、文化四年(一八〇七)の江差図(京都大学文学部蔵)には町名がみえない。「蝦夷日誌」(二編)に町名がみえ、寺小屋町から一町四間の地で、漁者・水主・小商人らが居住。五勝手村より武士川と山を越え五町二六間で、当町に至る道がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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