江差町(読み)エサシマチ

デジタル大辞泉 「江差町」の意味・読み・例文・類語

えさし‐まち【江差町】

江差

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日本歴史地名大系 「江差町」の解説

江差町
えさしちよう

元禄郷帳に記される「江差村」「つばな村」「もしり村」「とよべ内村」「つめき石村」一帯が、一七世紀後半からの江差湊を中心とした商業経済の発展により江差村周縁から順次町場化が進み、江差村に包含されるとともに、二〇町余の在郷町が成立していったとみられ、江差町と通称された。しかし享保十二年所附には寺小屋てらこや茂尻もしり・中茂尻・津花つばな村・中歌なかうた村・九艘川くそうがわ豊部内とよべない津免木石づめきいし(詰木石)村の地名がみえる。天保郷帳では江差村と記され、実態は町場であっても近世末まで村として把握されていた。なお江差は江指・江刺とも記され、「地名考并里程記」に「江指 夷語エシヤシなり。則、尖く出たる崎といふ事。此崎海岸へ出て澗内になる故、地名になす哉。未詳」とある。

〔成立〕

江差市中の対岸、日本海に浮ぶかもめ(弁天島)周辺の海底から珠洲系の擂鉢が引揚げられており、近世以前からすでに船泊りとして利用されていたと推測されている(江差町史)。しかし寛永一〇年(一六三三)に幕府巡見使の一行が渡島半島の西海岸を訪れた際、松前からヱラ町(江良町村、現松前町)火石ひいし(比石)上ノ国(現上ノ国町)と止宿し、乙部おとべ(現乙部町)を巡見したあと、江差ではなくとまりに止宿しているので(松前年々記)、この頃まではまだ江差は未発展であったと思われる。寛文九年(一六六九)シャクシャインの戦の際、弘前藩は藩士を蝦夷地に派遣して調査を行ったが、江差湊一帯に位置する「もしり」「江指」は「から家あり」としか記されず、「つめき石」に三〇戸、「二ツ石」に二〇戸しかなかった。しかしこの頃に江差は鰊場として知られるようになり、「鰊取に参候」て、役銭として「鰊七束半宛」を出すと定められていた(津軽一統志)

〔産業〕

松前藩の主要財源であった檜山用材の伐出し、交易は上ノ国が中心で、二代藩主松前矩広の時に「檜木山監ひやまぶぎやう」を上ノ国に置いて業務を監督させていた(明石系譜略伝)。しかし延宝六年(一六七八)に「阿津左不あつさふ山中」での檜樹の伐出しが始まると官府が江差に移され、檜山番所と改称されて檜山奉行が配置された(「福山秘府」など)。江差は檜用材集荷・交易の中心地となり発展する。檜山奉行は同年二月七日付で山師の入山、木材の伐出し、江差浜の木場管理などについて、「江差」「江差浜」「厚佐部留場」「厚佐部蝦夷村」「江差肝煎」「泊リ田沢両村肝煎共」に制札を出しており、厚沢部あつさぶ(現厚沢部町)から田沢村・泊村の地域を統轄したようである。

江差町
えさしちよう

面積:一〇九・五七平方キロ

明治三三年(一九〇〇)近世に町場であった中歌なかうた町など江差港二六町と五勝手ごかつて村が合併して一級町村江差町が成立。檜山支庁管内の南部に位置し、南は上ノ国町、東は厚沢部あつさぶ町、北は爾志にし乙部おとべ町、西は日本海に面する。縦に延びた町域の中央に厚沢部町が入り込んでいる。南部はささ(六一一メートル)もと(五二二メートル)など東側の山地から西側の海岸線にかけて傾斜し、とど川・古櫃ふるひつ川・五勝手川・豊部内とよべない川・とまり川・田沢たざわ川などが西流している。北部では厚沢部川が西流して沖積平野を形成。五勝手川と豊部内川の間、日本海に突き出た地域に市街地が形成されており、その先の海上にかもめ島がある。大部分は丘陵性台地で山林は約六〇パーセント、牧場・田畑などは約三〇パーセント(平成一二年版「北海道自治年鑑」)

旧石器時代の遺跡・遺物は確認されていない。縄文時代の遺跡の多くは河川の流域に分布しており、椴川とどがわ遺跡(前期)柳崎やなぎざき遺跡(晩期)五厘沢ごりんざわ遺跡(中期以降)などが知られている。昭和六二―六三年(一九八七―八八)に発掘調査が行われた茂尻もしりC遺跡(中期)からは八一軒の住居跡、九七基の墓壙や多くの遺物が確認された。続縄文時代から擦文時代の鴎島かもめじま遺跡(続縄文)厚沢部川川尻あつさぶがわかわじり遺跡(擦文)があるが、発掘は行われていない。「新羅之記録」や「福山秘府」などにみえる中世のとまり館は字泊町とまりちよう内に比定されているが、発掘調査が行われておらず場所は未確認。泊館主は勝山かつやま(現上ノ国町)館主蠣崎光広(松前氏二代)の子高広であったが、永正一一年(一五一四)父光広と兄義広が本拠を大館おおだて(現松前町)へ移したので、上ノ国守護を命じられて勝山館に入った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「江差町」の意味・わかりやすい解説

江差〔町〕
えさし

北海道南西部,日本海に臨む町。松前半島の基部西側に位置する。檜山振興局所在地。海岸段丘上に町があり,各官公署などが集中する。1900年町制。1955年泊村と合体。町名はアイヌ語のエサウシ (岬の意) に由来する。江戸時代から屈指のニシン場で,1900年頃までは大漁が続き,そのにぎわいは「江差の 5月は江戸にもない」といわれた。のち水温の変化などから不振となり,往時の繁栄は失われた。ホッケコンブ,イカなどの漁獲が産業の中心。網元横山家の問屋建築,姥神大神宮の山車,五厘沢温泉など多くの観光資源がある。俚謡江差追分節(→追分)の発祥地。椴川 (とどがわ) 地区の国有林ヒノキアスナロの北限,アオトドマツの南限自生地として国の天然記念物に指定,檜山道立自然公園に属する。国道227号線,228号線が通り,JR江差線の終点。奥尻島への船便もある。面積 109.48km2。人口 7428(2020)。

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