日本歴史地名大系 「礪波郡」の解説
礪波郡
となみぐん
- 富山県:越中国
- 礪波郡
越中国の南西部に位置。西は
〔古代〕
郡名は、平城宮跡出土の木簡に「(表)越中国利波郡川上里鮒雑」「(裏)一斗五升和銅三年正月十四日」とあるのが早く、「万葉集」巻一九にも「利波山」がみえる。「礪波」字は、「万葉集」巻一七の題詞「礪波郡雄神河辺作歌一首」をはじめ、天平宝字三年(七五九)一一月一四日の東大寺越中国諸郡庄園総券(東南院文書)、同日の礪波郡伊加流伎開田地図(正倉院蔵)などにみえる。礪波や利波の訓は「和名抄」東急本の国郡部に「止奈美」、「万葉集」巻一七・巻一八に「刀奈美」とある。「続日本紀」大宝二年(七〇二)三月一七日条に「分越中国四郡属越後国」とみえるが、これらの諸「郡」は大宝令の規定によって成立したものであり、それ以前は「評」と呼称された。越中国内の当郡も利波評として存立した可能性が高い。利波評について、越中石黒系図(石黒定治家蔵)中の「利波臣氏の系図」では、大河音宿禰の孫とされる
「和名抄」では郡内の郷として、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報