礪波平野(読み)となみへいや

精選版 日本国語大辞典 「礪波平野」の意味・読み・例文・類語

となみ‐へいや【礪波平野】

  1. 富山県西部、庄川小矢部川の下流域に作られた堆積平野。庄川扇状地がその大部分を占める。庄川の旧流路を利用した用水路が開かれて大部分が水田化された穀倉地帯。典型的な散村集落が多く、輸出用チューリップの代表的な産地としても知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「礪波平野」の意味・わかりやすい解説

礪波平野
となみへいや

富山県西部にある沖積平野。庄川(しょうがわ)の扇状地が大部分を占めるが、南部は高清水(たかしょうず)山地から流れる諸川の複合扇状地、西部は小矢部川(おやべがわ)の狭い流域平野である。庄川は古代には北西に流れていたが、洪水ごとに流路を東に転じてきた。現在の河道が固定するようになったのは、1714年(正徳4)の洪水後に加賀藩によって松川除(まつかわよけ)の堤防が完成してからである。

 古代には豪族礪波臣志留志(となみのおみしるし)が支配していた地で、また、東大寺荘園(しょうえん)の多かった所である。加賀藩は開田に力を注ぎ、平野を穀倉地帯にした。平野の中心には出町(でまち)、福野福光などの市場町が発達した。昭和初期には扇頂部の青島(現、砺波市)に庄川合口(ごうくち)ダムが完成し、平野の灌漑(かんがい)用水はすべてここで取水するようになった。

 平野の散居集落は「礪波平野の散村」として知られる。カイニュ(垣入)とよばれる屋敷林に囲まれた農家が水田地帯に約200メートルの間隔で散在し、独特の風景を展開する。散村の起源については諸説があるが、少なくとも近世以前からあったとされる。

[深井三郎]


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