神田錦町二丁目(読み)かんだにしきちようにちようめ

日本歴史地名大系 「神田錦町二丁目」の解説

神田錦町二丁目
かんだにしきちようにちようめ

[現在地名]千代田区神田錦町二丁目・神田小川町かんだおがわまち二丁目

明治五年(一八七二)起立。神田錦町一丁目の西に位置する町で、北は小川町。江戸時代はおおむね武家地で、明暦三年(一六五七)新添江戸之図によると蒔田数馬・川口久助などが屋敷を構えている。なお、寛永江戸図でも同人などがみえる。沿革図書によると、延宝年間(一六七三―八一)には蒔田権左衛門・倉橋長右衛門・建部七郎左衛門・川口源左衛門の屋敷があり、屋敷地の区割は幕末までほぼ変りなく、文久元年(一八六一)絵図では今川駿河守・蒔田数馬介・蜷川相模守・倉橋育之助・喜多村金次郎の屋敷地であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む