日本歴史地名大系 「笠間庄」の解説 笠間庄かさまのしよう 奈良県:宇陀郡榛原町笠間村笠間庄三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)の宇多郡庄々郷々注文の一乗院方に「笠間」「笠間吉野免田六石六斗一升」とみえ、また大乗院方・一乗院方のほかの枠内に「笠間多武峯領」とみえる。これらによると、笠間庄は興福寺一乗院領と多武峯(とうのみね)寺領とが一応考えられる。前者には金峯山(きんぶせん)寺の得分もあった。後者については、護国院御神殿造営銭日記(談山神社文書)の永正一六年(一五一九)の「諸郷反銭納分四郷ハ五十文配、寄郷ハ百文配」に「十貫文上 笠間庄分納之」とあり、多武峯寺護国(ごこく)院神殿造営の段別一〇〇文計一〇貫文を上納している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報