多武峯(読み)とうのみね

日本歴史地名大系 「多武峯」の解説

多武峯
とうのみね

市南部、寺川上流(多武峯谷)一帯の名称。標高六〇七・七メートルの御破裂ごはれつ(おはれつ山とも訓じ、単に破裂山ともいう)を中心に、その南に藤原鎌足を祀る談山だんざん神社が鎮座。談山神社は江戸時代までは多武峯寺と一体のもので、多武峯寺を単に多武峯とよぶこともある。

三輪飛鳥・吉野・宇陀初瀬はせなどへ至る要衝で、「日本書紀」斉明天皇二年条に「田身たむ嶺に、冠らしむるに周れる垣を以てす。田身は山の名なり。此をば大務と云ふ。復、嶺の上の両つの槻の樹の辺に、観を起つ。号けて両槻ふたつき宮とす。亦は天宮と曰ふ」とあり、軍事施設が築かれたとも考えられる。また同書持統天皇七年九月五日・六日条に「多武嶺に幸す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報