米永保(読み)よねながほ

日本歴史地名大系 「米永保」の解説

米永保
よねながほ

現米永町付近に比定され、米永庄ともみえる。平安後期、白山本宮神主職についたとされる上道氏実の三男に米永殿を称した氏茂がおり、その子氏澄は米永新太郎大夫と称し嘉禄二年(一二二六)に神主職に任ぜられたが、得分としての神領は付与されなかったらしい。また、上道氏続の三男で米永小大夫と称した氏俊も神主職についたものの神領は付されておらず、当地に基盤を置いたとみられる米永氏は、上道氏のなかでは傍流であった(「神官上道家系譜」白山比神社文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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