粟瀬村(読み)あわぜむら

日本歴史地名大系 「粟瀬村」の解説

粟瀬村
あわぜむら

[現在地名]上川村三宝分さんぼうぶん

柴倉しばくら川左岸に位置する。貞享二年(一六八五)の地下風俗家業旧例改帳(玉木敏雄氏蔵)によれば、南の明谷沢あきやざわ村と南東安用あんよう村とは山野入会で、これを三方分と称した。文禄三年(一五九四)七月の蒲生氏高目録帳(内閣文庫蔵)に「粟瀬 弐百廿三石七斗四升 内百七十三石一斗九升 平左 五十石五斗五升 御倉入」とあり、給人平左の持分のほかは蒲生氏直轄領であった。元和六年(一六二〇)の漆木役は一千一〇九本三分で、寛永一五年(一六三八)の山役は五匁(津川旧記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android