デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「紀伊保」の解説 紀伊保 きの-いほ ?-? 奈良時代の官吏。天平(てんぴょう)10年(738)ごろ山背掾(やましろのじょう)。大炊頭(おおいのかみ),相模守(さがみのかみ)をへて,天平宝字(ほうじ)8年仁部(にんぶの)(民部)大輔(たいふ)となる。紀寺(きでら)の奴婢(ぬひ)益人(ますひと)らの良民編入と紀朝臣(あそん)の氏姓授与を許可した孝謙上皇の勅をうたがってしたがわず,官位を剥奪(はくだつ)される。宝亀(ほうき)2年(771)もとの正五位下にもどされた。名は伊富,五百ともかく。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「紀伊保」の解説 紀伊保 生年:生没年不詳 名は伊富,五百とも書く。奈良時代の官人。天平10(738)年ごろに山背掾。天平勝宝3(751)年7月,従五位下に昇る。以後大炊頭,相模守などを歴任。天平宝字8(764)年7月,紀寺(奈良市)の奴益人らを良民とし,姓を与えるという高野天皇(孝謙上皇)の勅を疑って従わず,官を解かれ無位となった。宝亀2(771)年10月,正五位下に復す。 (寺崎保広) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by