絲漢堂跡(読み)しかんどうあと

日本歴史地名大系 「絲漢堂跡」の解説

絲漢堂跡
しかんどうあと

[現在地名]南区南船場三丁目

大坂蘭学の創始者橋本宗吉の開いた蘭学塾。宗吉は阿波出身の傘屋の紋描職人で、当初北堀江きたほりえ(現西区)に居住していた。町医師小石元俊と町人天文学者間重富が宗吉の才能を見いだし、後援して寛政元年(一七八九)頃に江戸の蘭学者大槻玄沢の芝蘭しらん堂に入門させた。同一〇年前後に医業を開くとともに蘭学の教授も始め、絲漢堂を開いたと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 中天游 訳書 念仏

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android