日本大百科全書(ニッポニカ) 「中天游」の意味・わかりやすい解説
中天游
なかてんゆう
(1783―1835)
江戸後期の蘭学者(らんがくしゃ)。丹後国(京都府)の儒医の家に生まれ、名は環(たまき)、字(あざな)は環中(かんちゅう)、思々斎(ししさい)と号した。本姓上田。江戸で儒学を古賀精里(こがせいり)に、医学を大槻玄沢(おおつきげんたく)に学んで京都に帰り、1809年(文化6)海上随鴎(うながみずいおう)(前名稲村三伯(いなむらさんぱく))の門に入って蘭学を修め、随鴎の没後その遺志によって娘をめとり、西宮(にしのみや)に移り開業。のち大坂に出て医業は妻に任せ、蘭学塾(思々斎塾)を開いて訳述と教育に没頭した。その門に緒方洪庵(おがたこうあん)がいる。目の光学についての日本最初の専門書『視学一歩』、天文・数学書の『天学一歩』『算学一歩』、引力論の物理学書『奇児(ケイル)引律』など理学方面の著訳書のほか『把而翕湮(パルヘイン)解剖図譜』の共訳書があり、実地解剖の記録も知られる。
[宗田 一]