仏・菩薩の相好や功徳を心におもい浮かべたり,またその名号を口に唱えること。前者を観想念仏といい,後者を称名(しようみよう)念仏という。念仏には釈迦,薬師,弥勒,観音などの念仏もあるが,阿弥陀仏の念仏が代表的で,ふつう念仏といえば,阿弥陀仏の相好やその誓願のことを憶念したり,〈南無阿弥陀仏〉の6文字の名号を口に唱えることをいう。阿弥陀信仰が興隆し,西方極楽浄土へ往生したいとの願望が強まるにつれ,念仏が往生のためには必須の行業であると考えられた。日本では奈良時代から平安時代中期にかけて観想念仏が盛んであり,観想のために阿弥陀浄土変相図がつくられた。智光曼荼羅,当麻(たいま)曼荼羅などがそれである。平安時代初期に最澄の弟子円仁(えんにん)が,唐の法照(ほつしよう)がはじめた五会(ごえ)念仏の流れをくむ五台山念仏三昧法を比叡山に移し,常行三昧(じようぎようざんまい)を修したが,五会念仏は5種の音声からなる音楽的な称名念仏であった。常行三昧は不断念仏といわれ,各地に普及したが,比叡山の不断念仏は〈山の念仏〉として有名となった。これは8月11日から7日間,常行堂内で阿弥陀仏のまわりを行道(ぎようどう)しつつ,念仏とともに《阿弥陀経》を誦し,つねに想いを阿弥陀仏に懸けることによって,罪障を除滅しようとする法会であった。のちに不断念仏は命終のときに修されるようになり,臨終儀礼ともなった。平安中期に空也や源信が出るにおよんで,称名念仏はいっそう盛んとなった。空也は民間に念仏を広め,民間仏教史上に大きな足跡を残したが,その念仏は鎮魂呪術的な性格と機能をもったものとして民間に受容された。後世,一遍によって全国に広められた踊念仏の起源は空也念仏にあるとされるが,一遍の踊念仏にも死霊鎮送の性格がみられる。念仏は,源信らの二十五三昧結衆の起請文にもうかがわれるように,はやくから葬送や死者追善の儀礼と密接な関係をもっていたが,念仏が葬送・追善と結びつく一因は,念仏には罪障消除の功徳があると考えられたからである。《観無量寿経》は臨終時の称念,十念などは五十億劫,八十億劫の生死の罪を除滅すると説き,覚超は《修善講式》で〈弥陀如来ハ(略)カノ浄土ノ化主ナリ,御名ヲ唱奉レバ,念々ニ八十億劫ノ生死ノ罪ヲ滅シテ,カノ世界ニ生ゼシメ給フ〉と,称名に滅罪生善の功徳があることを述べている。
平安時代には阿弥陀仏を仰いでやまない浄土教が興隆したが,それによって独立的な宗派が成立したのではなかった。しかし,鎌倉時代になると,この浄土教が宗派的に独立するにいたった。南無阿弥陀仏と弥陀の名号を唱えて,極楽浄土への往生を期する,いわば〈念仏宗〉ともいうべき新宗派があいついで出現した。法然が開いた浄土宗,その弟子親鸞が立てた浄土真宗,さらに一遍を祖とする時宗がそれである。法然は諸行を捨て念仏の一行を選んだが,彼はその念仏はすでに弥陀によって選択されていた本願の念仏であったとし,念仏に絶対の価値を認めた。そして〈声はこれ念なり,念はすなはちこれ声なることその意あきらけし〉(《選択(せんちやく)本願念仏集》)と念声是一の義をうち出し,念仏とは称念にほかならないとした。親鸞は専修(せんじゆ)念仏を〈他力の宗旨〉(《歎異抄》)といい,他力の信心に生きることを勧め,一遍は平生を臨終と心得て念仏することを説き,名号絶対の立場をとった。
執筆者:伊藤 唯真 声明曲(しようみようきよく)の念仏には〈南無釈迦牟尼仏〉の釈迦念仏などもあるが,数は少なく,ほとんどが阿弥陀念仏である。1句ずつ旋律を変えながら〈南無阿弥陀仏〉を繰り返していくもので,1字1字長く引っぱって複雑な旋律を唱えるものから,ごく単純な節のものまで,各宗各派にわたって多数の曲がある。天台系の《甲念仏》《乙念仏》《八句念仏》《引声(いんぜい)念仏》,浄土系の《合(あい)念仏》《礼拝念仏》《笏(しやく)念仏》《白木念仏》,時宗の《別時念仏》《踊躍(ゆやく)念仏》《薄(すすき)念仏》,浄土真宗系の各種の《念仏和讃》に応ずる各種の念仏など,数えきれないほど多い。
執筆者:横道 万里雄
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ふつう阿弥陀仏を念ずること。仏の実相を観ずる法身念仏(ほっしんねんぶつ)、仏の功徳や相好を思い浮かべる観想念仏(かんそうねんぶつ)、仏の名を口に称える称名念仏(しょうみょうねんぶつ)などがある。日本では当初は観想念仏が中心だったが、10世紀頃からしだいに称名念仏が盛んとなり、観想を否定した法然の登場などによって、念仏といえば南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と称えることをさすようになった。浄土宗では専修(せんじゅ)念仏を、浄土真宗では弥陀の本願他力(たりき)への信を強調し、時宗では名号(みょうごう)至上主義を特色とする。他面、民俗社会では早くより、念仏には追善・滅罪や死霊鎮魂の機能があるとされ、臨終や葬送、追善の仏事、彼岸や盆の行事などに用いられた。また芸能化した民俗念仏が各地に残留している。
[伊藤唯真]
初期仏教では,仏の姿や,その功徳を心に思い浮かべることを意味していた。大乗仏教では,精神を集中した禅定(ぜんじょう)のなかで仏の姿を観ずる観想(かんそう)念仏が初め主流であったが,浄土教が広まると「南無阿弥陀仏」と六字の名号(みょうごう)をとなえる称名(しょうみょう)念仏も盛んに行われるようになった。特に中国念仏宗の大成者とされる善導(ぜんどう)(613~681)は称名念仏の優位を唱え,その流れが日本に伝えられて法然(ほうねん)の浄土宗,親鸞(しんらん)の浄土真宗へと展開した。また,一遍(いっぺん)は,踊りながら念仏をとなえる踊念仏(おどりねんぶつ)を発案し,時宗(じしゅう)を開いた。「念仏宗」とはこれらの総称である。
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仏を憶念(おくねん)することで仏道修行者が修すべき行法の一つ。念仏の仏を仏身とすれば観念・観仏となり,仏名とすれば称念となる。ゆえに念仏の対象となる仏身と念仏の仕方により歴史的には別々に展開するが,日本では浄土教の発展にともない阿弥陀仏を観念するか称念するかが問題になり,源信(げんしん)の「往生要集」では口称(くしょう)とともに観念を重んじ,やがて法然(ほうねん)の浄土宗の立宗以降は「南無阿弥陀仏」の六字の名号を口称することが主流になった。
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…1103年(康和5)の成立と伝える。念仏の一行は10種の因あるがゆえに,一心に称名念仏すれば必ず往生を得ることを10項目にわたって述べ,顕密諸宗と比較して,念仏は行住坐臥を妨げず,極楽は道俗貴賤を選ばず,衆生の罪もひとしく救済されると説き,これを〈念仏宗〉と称した。本書は念仏者たちの間に大きな影響を与え,競って書写されたといわれる。…
…3巻。〈往生極楽〉に関する経論の要文を集め,〈往生の業(ごう)には念仏を本となす〉という思想を明らかにした平安時代の浄土教信仰を代表する著書。〈それ往生極楽の教行は,濁世末代の目足なり。…
…なかでも第18願では,〈十方世界の衆生が心を専一にして(至心)深く信じ(信楽)極楽に往生したいと願い(欲生),わずか10回でも心を起こす(十念)ならば,必ず極楽に往生できる〉と説いている。この〈十念〉が10回の念仏と解され,中国,日本における念仏による往生の思想の根拠として重視されるにいたった。【末木 文美士】。…
※「念仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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