絹屋四丁目(読み)きぬやんちようめ

日本歴史地名大系 「絹屋四丁目」の解説

絹屋四丁目
きぬやんちようめ

[現在地名]堺市寺地てらじひがし三丁

南大工みなみだいく一丁目の東にあり、絹屋三丁目の南に続く織物業者集住地。絹屋町きぬやちよう筋を挟む両側町で、元禄二年(一六八九)堺大絵図によると東頬一四筆・西頬一七筆の宅地からなり、うち絹屋三筆・糸屋一筆で、町会所は西頬の北から三筆目にある。当町には織殿屋とよばれる豪華な中国絹織物を製造する家があり、幕府巡見個所ともなっていた(堺市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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