新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「肥塚龍」の解説
肥塚 龍
コイズカ リュウ
- 肩書
- 衆院副議長
- 生年月日
- 嘉永1年1月10日(1848年)
- 出生地
- 播磨国揖保郡中島村(兵庫県)
- 経歴
- 農家の出身で一時僧籍に入る。明治5年上京、中村正直の同人社に入り英学を修めた。8年横浜毎日新聞社に入社、一時辞めたが、12年「東京横浜毎日新聞」と改称、嚶鳴社機関新聞となって再入社、主事とし社説担当。15年社長沼間守一と立憲改進党に入党、「嚶鳴雑誌」、「東京輿論新誌」などで自由民権論を展開。その間神奈川県議、東京市議、東京市会参事会員などを務め、27年第3回以来兵庫県から衆院議員当選8回。30年大隈内閣で農商務省鉱山局長、31年東京府知事、41〜44年衆院副議長。後年実業界に転じ秀英社監査役、愛国生命保険取締役、日本キネトホン社長を務めた。「肥塚龍自叙伝」がある。
- 没年月日
- 大正9年12月3日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報