自由民権派の政党。1882年(明治15)4月16日、いわゆる明治十四年の政変で政府を追われた大隈重信(おおくましげのぶ)を総理に結党、掌事に小野梓(おのあずさ)、牟田口元学(むたぐちげんがく)(1844―1920)、春木義彰(はるきよしあき)(1846―1904)の3名がついた。おもな構成メンバーは鴎渡(おうと)会(小野)、嚶鳴(おうめい)社(沼間守一(ぬまもりかず))、東洋議政会(矢野文雄、1850―1931)、修進社(河野敏鎌(こうのとがま))の人々で、綱領には、王室の尊栄と人民の幸福の達成、内治改良、地方自治、選挙権の漸進的拡大、通商の推進、硬貨主義の六か条を掲げ、イギリス流の議院内閣制の実現を目ざした。支持基盤は産業ブルジョア、都市商業資本家、地方名望家、知識人などであったが、改進党系の『東京横浜毎日新聞』『郵便報知新聞』だけでなく『朝野新聞』にも「改進党録事」の欄を設ける予定があったことが知られており、幅広い階層を地盤として自由民権運動に積極的役割を果たす意欲があったことがうかがえる。党員数も結党時の116名からしだいに増加、1883年2月1272名、翌1884年4月には1729名に達した。地域別では石川、兵庫、埼玉、栃木、福島、大阪、長野、愛媛の各県が多く、それぞれ100名を超す。諸激化事件の発生、弾圧強化、自由党解党などのため1884年11月ころより党内に解党論が台頭、その結果12月総理大隈をはじめ、小野、河野らが脱党するという事態が生じ一時動揺した。しかし、規約を改正して事務委員制をとり(7名、最初に選出されたのは藤田茂吉(もきち)(1852―1892)、尾崎行雄、箕浦勝人(みのうらかつんど)(1854―1929)、島田三郎、肥塚龍(こいづかりゅう)(1848―1920)、沼間守一、中野武営(たけなか))、東洋議政会、嚶鳴社の人々を中心に党活動を維持した。また脱党したとはいえ大隈はその後も隠然たる力を有し、大きな影響力をもった。初期議会では民党の立場を堅持し軍事予算削減を求めて政府と対決、1892年総選挙の際は政府の大弾圧を受けた。しかし、外交政策に関しては明治10年代後半より国権色を強め、さらに1888年外相として入閣した大隈の条約改正交渉を支持するなど、政府に同調する姿勢をとった。そして日清(にっしん)戦争を契機に国権的・侵略的アジア観を一段とあらわにした。1896年2月16日解党を決議、3月1日対外硬を高唱していた立憲革新党、大手倶楽部(くらぶ)などと合同し進歩党を結成した。
[安在邦夫]
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明治前・中期の政党。1882年(明治15)3月,明治14年の政変で下野した大隈重信と大隈系の旧官吏・言論人などを中心に結党。国会開設にむけて府県会議員を組織し,漸進主義的・合法主義的な運動を展開。弾圧強化などで不振に陥り,84年には総理大隈も脱党。88年,大隈が外相として入閣し,条約改正交渉を担当したことを通じて党勢拡張をはかったが,改正交渉は挫折し,第1回総選挙でも少数党にとどまった。初期議会で自由党と民党連合を結成して藩閥政府と対決したが,自由党と第2次伊藤内閣の接近にともない民党連合は崩壊。立憲改進党は国民協会などと連合して対外硬運動を推進したが,党勢は伸び悩んだ。96年3月,立憲革新党などと合同して進歩党を結成した。
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…しかし同年国会即時開設論を主張し,開拓使官有物払下げに反対して自由民権派と通じているとみられ,薩長藩閥と衝突し,多数の大隈派官吏とともに辞職した(明治14年の政変)。82年4月小野梓,矢野文雄らと立憲改進党を組織して党首となり,藩閥政府に対立する民党の首領となるかたわら,10月に東京専門学校(現,早稲田大学)を創立して在野の教育運動を開始した。88年外務大臣となり条約改正にあたったが国権論者に反対され,翌年排外主義者による爆弾事件で右脚を失い,辞職した。…
…自由民権運動期の政党〈立憲改進党〉の略称,また第2次大戦後の民主党の系統をひく政党〈改進党〉をいう。
[立憲改進党]
自由党結成に遅れること半年,1882年4月に明治14年の政変で下野した大隈重信を総理に結成された。…
…この自由党は一院制議会を構想し基本的人権の確立をめざして,地主や農民など農村部に主たる基盤をおいた。さらに翌年には,先に下野した大隈を総理に立憲改進党が組織され,これはイギリス流の二院制議会や財産による制限選挙を主張して漸進主義の立場をとり,都市の知識人や地方の商工業者などを対象に勢力を拡大しようとした。ここに自由民権運動は,一定の政綱を掲げる全国的な単一組織を通じて政治理念を民衆に訴え,その影響力を拡大できることになった。…
※「立憲改進党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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