脇坂氏(読み)わきざかうじ

改訂新版 世界大百科事典 「脇坂氏」の意味・わかりやすい解説

脇坂氏 (わきざかうじ)

近世大名。浅井秀政の曾孫教政が近江国浅井郡脇坂荘の下司となり,脇坂氏を称したという。5世安明は1568年(永禄11)近江国観音寺合戦で討死。その子安治は豊臣秀吉に仕え,幾多の戦功をあげたが,関ヶ原の戦では徳川方に寝返り,1609年(慶長14)伊予大洲5万3000石を襲封。安治の子安元は15年(元和1)信濃国飯田に転じ,その子安政は72年(寛文12)播磨国竜野5万3000石(竜野藩)に移り,子孫相承して明治に至り子爵となる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の脇坂氏の言及

【竜野藩】より

…以後,26年(寛永3)小笠原長次6万石,33年岡部宣勝5万石,37年京極高和6万石が入った。58年(万治1)以降の幕領時代ののち,72年(寛文12)入封の脇坂氏万3000石で明治維新まで定着した。近世後期に財政が窮乏し,藩は領内産の塩・藍玉の使用強制や醬油仕法等を試みたが,いずれも領民の抵抗で撤回を余儀なくされた。…

※「脇坂氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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