芋野郷(読み)いものごう

日本歴史地名大系 「芋野郷」の解説

芋野郷
いものごう

和名抄」には記載がない。郷名の初見は平城宮出土木簡で「丹後国竹野郡芋野郷部古与会赤(舂)米五斗」とある。下って建久七年(一一九六)と推定される馬背寺重陳状案(高山寺文書)に、「丹後国芋野郷字馬背寺」とみえる。また応安四年(一三七一)六月一四日付尼自祐譲状(前田家蔵文書)に、「丹後のくにいものゝかうの地とうしき」がみえる。この譲状によれば、芋野郷地頭職は「こあをとえもんのせうやすしけ」が拝領知行してきたものであり、彼の死後、半分が後家自祐に、他の半分が「たけふちのくないのせうきよあきら」に譲渡された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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