日本歴史地名大系 「苗ヶ島村」の解説
苗ヶ島村
なえがしまむら
寛文郷帳では田方四八四石余・畑方一七三石余、前橋藩領。元禄二年(一六八九)の新田検地帳(前原文書)によれば、寛文四年(一六六四)以前に行われた新田開発は三一町九反余(二二九石余)、うち田方一〇町四反余(一〇三石余)・畑方二一町四反余(一二五石余)。宝永八年(一七一一)の新田検地帳(同文書)によると、元禄一一年―宝永三年の間にさらに二三町四反余(六七石余)、うち田方一町三反余(八石余)・畑方二二町余(五九石余)が開発されている。享保一一年(一七二六)の五人組改帳(東宮文書)では家数一四〇・人数六八七。寛政一一年(一七九九)、享和三年(一八〇三)、文化六年(一八〇九)の定免願(苗ヶ島区有文書)によると、当村は二ヵ年の定免を請け、年季があけるとさらに二ヵ年の定免を願出ていたとみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報