日本歴史地名大系 「勢多郡」の解説
勢多郡
せたぐん
東毛の中央部に位置する。古代の郡域は不明だが、中世以降は赤城山を中心に山麓全域を占め、明治一一年(一八七八)南勢多・北勢多の二郡に分れた。同二九年東群馬郡と南勢多郡が合併するとともに北勢多郡が利根郡に編入され、南勢多郡は再び勢多郡と称した。その後前橋市隣接地域を同市に割き現在に至る。現郡域は赤城山頂を北限とし、東・南・西山麓を占め、東は渡良瀬川、西は利根川に挟まれた地域である。北は沼田市・利根郡、東は栃木県
当郡は東部の渡良瀬川上流地域、南部の赤城山麓部、利根川左岸の赤城山西麓部に三分され、経済圏が異なる。東部の黒保根・東両村は渡良瀬川の深い峡谷の右岸を占め、国道一二二号・国鉄足尾線が通る。国道一二二号は
郡の設置年代は不明であるが、大化改新の結果と思われる。郡名は「続日本紀」天平勝宝元年(七四九)閏五月二〇日条に「上野国勢多郡小領外従七位下上毛野朝臣足人」とみえるのが初見。表記は勢田(総社本「上野国神名帳」など)があるが、公的には一貫して勢多であったとみられる。「和名抄」諸本ともに訓はないが、古くより「せた」であったろう。語源は赤城山の下、シタがなまったとする説(名跡考)があるが疑問である。
〔原始〕
新里村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報