20世紀日本人名事典 「葛西静子」の解説 葛西 静子カサイ シズコ 昭和期の教育者 弘前文化学院院長。 生年大正9(1920)年 没年昭和40(1965)年 出生地青森県弘前市 旧姓(旧名)唐牛 学歴〔年〕弘前高等女学校卒,東京文化服装学院高等裁断科(S27年)卒 経歴弘前高等女学校在学中はテニス選手として活躍し、昭和11年全日本軟式庭球選手権大会で全国優勝。15年に銀行家葛西清美と結婚。24年故郷の青森県弘前に鷹ヶ岡服装学院を創立して院長となり、28年には弘前文化学院に改称した。この間、27年に東京文化服装学院高等裁断科を卒業。また、夫を名目上の園長として文化幼稚園を設立し、幼児教育にも力を注いだ。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「葛西静子」の解説 葛西静子 かさい-しずこ 1920-1965 昭和時代後期の教育者。大正9年生まれ。唐牛敏世(かろうじ-びんせい)の孫。銀行家葛西清美と結婚。昭和24年郷里の青森県弘前(ひろさき)市に鷹ケ岡服装学院を創立し,院長。28年同院を弘前文化学院と改称した。昭和40年死去。45歳。弘前高女卒。旧姓は唐牛。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by