20世紀日本人名事典 「藤田嗣章」の解説 藤田 嗣章フジタ ツグアキラ 明治・大正期の陸軍軍医 陸軍軍医総監。 生年嘉永7年1月(1854年) 没年昭和16(1941)年1月13日 出身地東京・赤坂 経歴明治5年大学東校員外生として医学を学び、10年陸軍軍医補。27年第6師団第2野戦病院長、熊本陸軍予備病院長を経て、29年混成第1旅団軍医部長兼台湾兵站軍医部長、31年台湾陸軍軍医部長、35年第5師団軍医部長、37年第4軍軍医部長、39年韓国駐箚軍医部長、43年朝鮮総督府医院長などを歴任、大正元年軍医総監となった。3年退官。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤田嗣章」の解説 藤田嗣章 ふじた-つぐあきら 1854-1941 明治-大正時代の軍人。嘉永(かえい)7年1月生まれ。画家藤田嗣治の父。大学東校にまなび,明治10年陸軍軍医補となり,第五師団軍医部長,朝鮮総督府医院長などを歴任。大正元年軍医総監。昭和16年1月13日死去。88歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例