藤田尾(読み)とうだお

日本歴史地名大系 「藤田尾」の解説

藤田尾
とうだお

[現在地名]三和町藤田尾

為石ためし村の東に位置し、北東千々ちぢ(現長崎市)。江戸時代は同村のうちで、正保二年(一六四五)の高来郡内高力氏領分図に茂木もぎ村内「千々村之内藤田尾村」とあり、島原藩領と記される。正保国絵図に「千々村内藤田尾」、元禄国絵図では「茂木村之内藤多尾村」と記される。寛保三年(一七四三)頃、当地の所属をめぐって幕府領の茂木村などと相論、明和六年(一七六九)絵図を取交わし、千々村地内に境塚を築いたが、天保四年(一八三三)川原かわら村の者が松木を伐採したことから境論が再燃、言を左右する深堀領に対して、茂木村は長崎代官所に提訴、同四年境を定めて落着している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む