つつ(読み)ツツ

デジタル大辞泉 「つつ」の意味・読み・例文・類語

つつ[接助]

[接助]動詞・動詞型助動詞の連用形に付く。
二つの動作・作用が同時に並行して行われることを表す。それぞれが…して。…ながら。「諸事情を考慮しつつ計画を立てる」「大声で叫びつつ走りだす」
「日しきりにとかくし―ののしるうちに夜ふけぬ」〈土佐
二つの動作・作用が矛盾して行われることを表す。…にもかかわらず。…ていても。「早起きが健康にいいと知りつつ、つい寝すごしてしまう」→つつも
動作・作用が今も進行・継続していることを表す。…し続けている。「成績が向上しつつある」「病状が快方に向かいつつある」
天離あまざかひな五年いつとせ住まひ―都のてぶり忘らえにけり」〈・八八〇〉
ある動作・作用が繰り返し行われることを表す。しきりに…して。…しいしい。
「野山にまじりて竹を取り―、よろづの事に使ひけり」〈竹取
同じ動作を複数の人が同時に行うことを表す。みんなが…して。それぞれが…して。
「人ごとに折りかざし―遊べどもいやめづらしき梅の花かも」〈・八二八〉
34の「つつ」が、和歌などの末尾に用いられ、下に続く語の意味を言外に含めて)余情・感動を表す。…てはまた…していることよ。ずっと…しつづけていることだなあ。
「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降り―」〈古今・春上〉
上の動作・作用がすでに確定したことを表し、下に続ける。…て、そして。…たうえで。
亡者まうじゃにいとま申し―、泣く泣くそこをぞ立たれける」〈平家・三〉
[補説]語源については、完了の助動詞「つ」が重なったという説、サ変動詞「す」の連用形「し」の重なったものが音変化したという説、また、その終止形「す」を重ねたものが音変化したなど諸説がある。「つつ」は中世以降しだいにその勢力は衰え、「て」と並んで「ながら」がその領域を侵していく。6は、主に、平安時代以後の和歌に用いられ、7は、中世以降の用法で、12は、現代の話し言葉では「ながら」「て」を用いるのが普通である。

ツツ(Tutu)

トゥトゥ

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精選版 日本国語大辞典 「つつ」の意味・読み・例文・類語

つつ

  1. 〘 接続助詞 〙 ( 活用語の連用形を承けて )
  2. 同じ動作の反復や継続を表わす。
    1. [初出の実例]「天離(ざか)る鄙に五年住まひ都々(ツツ)都のてぶり忘らえにけり」(出典:万葉集(8C後)五・八八〇)
    2. 「筑紫に侍りける時に、まかり通ひつつ碁うちける人のもとに、京に帰りまうで来て遣はしける」(出典:古今和歌集(905‐914)雑下・九九一・詞書)
  3. 二つの動作が並行して行なわれることを示す。ながら。
    1. [初出の実例]「佩(は)かせる十拳(とつか)劔を抜きて、後手(しりへで)に布伎(ふき)都都(ツツ)〈此の四字は音を以ゐよ〉逃げ来るを、猶追ひて」(出典:古事記(712)上)
    2. 「上人是を給はって、何と奏するむねもなくして、墨染の袖を絞りつつ、泣々罷出でられけり」(出典:平家物語(13C前)灌頂)
  4. 単純な接続を表わす。「て」とほぼ同じ。
    1. [初出の実例]「おほかたそのほどには、かたがたにつけつつ、いみじき人々のおはしまししものをや」(出典:大鏡(12C前)六)
    2. 「いざ此上はいづ方へも一先御供申しつつ、時節を窺ひ申すべし、いざさせ給へ」(出典:浄瑠璃・惟喬惟仁位諍(1681頃)四)

つつの語誌

( 1 )の用法中の反復を表わす場合には、動作主体が複数であることによる反復も含まれる。「万葉‐八二八」の「人毎に折りかざし都々(ツツ)遊べどもいやめづらしき梅の花かも」、「土左‐承平五年二月七日」の「なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくてくるが悲しさ」など。
( 2 )反復・継続の用法が和歌の文末に用いられると、多く詠嘆が感じられる。「万葉‐四四五二」の「少女らが玉裳裾引くこの庭に秋風吹きて花は散り都々(ツツ)」、「古今‐春上」の「君がため春の野に出でて若菜つむ我衣手に雪は降りつつ〈光孝天皇〉」など。
( 3 )「つつ」に本来逆接の意があるわけではないが、前後の文脈から「…にもかかわらず」「…ながら」と訳される場合がある。「万葉‐四二〇八」の「吾が幾許(ここだ)待てど来鳴かぬ霍公鳥独り聞き都追(ツツ)告げぬ君かも」、「洒落本・猫謝羅子」の「しらねへおいらでもねへ。それをしりつつたのむのだ」など。


つつ

  1. 〘 名詞 〙
  2. 鳥「せきれい(鶺鴒)」の異名。
    1. [初出の実例]「胡子都都(ツツ) 千鳥ま鵐 何ど開ける利目」(出典:古事記(712)中・歌謡)
  3. 鳥「つばめ(燕)」の異名。〔観智院本名義抄(1241)〕

っつ

  1. 〘 副詞助 〙 「ずつ(づつ)」の変化したもの。「ん」の後では「つ」となる。→。「三杯っつ飲む」「二つっつ配る」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「つつ」の意味・わかりやすい解説

ツツ
Tutu, Desmond

[生]1931.10.7. 南アフリカ連邦クレルクスドルプ
[没]2021.12.26. 南アフリカ共和国,ケープタウン
デズモンド・ツツ。南アフリカ共和国の聖職者,人権活動家。フルネーム Desmond Mpilo Tutu。南アフリカにおける人種隔離政策アパルトヘイトの問題解決にあたり非暴力の活動を貫く統一的指導者として,1984年ノーベル平和賞を受賞した。コーサ族ツワナ族の両親のもとで育ち,父が教鞭をとるミッション・スクールで教育を受ける。最初医学の道を志したが金銭的余裕がなく,1955年学校の教員となる。1957年教職を辞し,ヨハネスブルクの神学校に入学,1961年にアングリカン・チャーチ(聖公会)の司祭に叙せられた。1962年ロンドンに渡り,1966年にロンドン大学キングズ・カレッジ修士学位を取得。1975年ヨハネスブルクのセントメアリー大聖堂で黒人初の首席司祭 deanに就任する。1976~78年レソト主教。1978年南アフリカ教会評議会事務局長に就任し,黒人の権利の代弁者となって非暴力の闘争を指揮,諸外国に対し,アパルトヘイトを続ける南アフリカ共和国に経済的な制裁を加えるよう訴えた。ツツのノーベル賞受賞は当時の P.W.ボータ政権への大きな圧力となり,1985年ツツは黒人居住区(タウンシップ)での反乱に見舞われたヨハネスブルクで初の黒人主教に,翌 1986年にはケープタウン大主教に任命され,160万人の信者を擁する南アフリカ聖公会の最高位についた。1988年ケープタウン近郊ベルビルにある西ケープ大学学長に就任。南アフリカが民主化に向かう 1990年代初頭,ツツは南アフリカを「虹の国」Rainbow Nationと形容し,ユーモアと辛辣さを交えてメッセージを発信し続けた。1995年,ネルソンマンデラ政権下でアパルトヘイト時代の人権侵害を検証する真実和解委員会の委員長に任ぜられる。1996年大主教の座を退き,名誉大主教となる。2007年にはマンデラによる,世界の紛争や問題の解決をはかる国際的指導者のグループ「ジ・エルダーズ」The Eldersの設立にかかわった。2010年10月7日,79歳の誕生日を機に公の活動から身をひいた。講演内容を収録した『神の意思』The Divine Intention(1982),説教集『希望と苦悩』Hope and Suffering(1983),真実和解委員会委員長時代の回想録『赦しなくして未来はない』No Future Without Forgiveness(1999),ツツ個人の考察をまとめた『神は夢見る:われわれの時代の希望のビジョン』God Has a Dream: A Vision of Hope for Our Time(2004)など著書,共著多数。2009年アメリカ合衆国の大統領自由勲章を受章,2012年モ・イブラヒム財団特別賞,2013年テンプルトン賞を受賞。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「つつ」の意味・わかりやすい解説

ツツ
つつ
Desmond Mpilo Tutu
(1931―2021)

南アフリカ共和国の黒人宗教者。宗教者として一貫して南ア政府の人種差別政策に反対の立場にたった。10月7日トランスバール州南西部(現、ハウテン州中西部)クラークスドルプに生まれる。教師を務めたあと神学学校に入り、1961年黒人居住区であるベノニで司祭となる。1962年イギリスへ留学、1966年神学修士号を取得。いったん帰国後1972年ふたたび渡英。世界教会評議会役員となる。1975年ヨハネスバーグ・アングリカン教会首席司祭。1976~1978年レソトで勤務ののち帰国。1979~1985年南アフリカ教会評議会事務局長。1981~1983年何回か欧米を訪問し人種差別反対を訴えた。アパルトヘイト廃止に向け、非暴力による話し合い解決を主張した。1984年ノーベル平和賞受賞。1986年(昭和61)8月、広島での「平和サミット」に参加。同年9月ケープ・タウンで南アフリカ・アングリカン教会大司教に就任した。アパルトヘイト廃止後の1994年12月、南ア真実和解委員会の委員長に就任した。同委員会の任務は、アパルトヘイト体制下で行われた政治的抑圧や人権侵害の真相を明らかにし、被害者の復権を目ざすとともに民族和解を達成することにあった。同委員会は1996年4月以降、各地で公聴会を開き証言を集め、その成果は1998年10月に全5冊(約3500ページ)の報告書として公表された。2010年に公職からは引退したが、2007年にネルソン・マンデラによって設立された世界の著名なリーダーで構成されたグループ、エルダーズThe Eldersの議長(2007~2013)を務めるなど、人権問題などの分野で活動を続けていた。

[林 晃史 2018年1月19日]

『デズモンド・ツツ著、桃井健司・近藤和子訳『南アフリカに自由を――荒れ野に叫ぶ声』(1986・サイマル出版会)』『デイビッド・ウィナー著、箕浦万里子訳『ツツ大主教』(1991・偕成社)』『Desmond Mpilo TutuNo future without forgiveness(2000, Doubleday, New York)』

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「つつ」の解説

ツツ
Desmond Mpilo Tutu

1931~

南アフリカ共和国イングランド国教会司教,反人種差別活動家。南アフリカ大学,ロンドン大学卒。1961年に司祭となり,75年ヨハネスブルグ大聖堂の首席司祭。国内外でアパルトヘイト反対を訴え,84年ノーベル平和賞を受賞。

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百科事典マイペディア 「つつ」の意味・わかりやすい解説

ツツ

南アフリカ共和国の英国国教会司教,黒人解放運動家。南アフリカ大,ロンドン大卒。1961年に聖職につき,1975年ヨハネスバーグ大聖堂の主任司祭となる。国内外で反アパルトヘイト運動を主導し,1984年ノーベル平和賞。

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世界大百科事典(旧版)内のつつの言及

【船霊】より

…また神社や寺のお札をはりつけるだけのところもある。船霊をまつりこめる場所は,船の中央部,かつて帆船時代には帆柱の下のツツとかモリとかいわれた部分である。年中行事として正月2日または多く11日を船霊祭,船霊節供などと呼び,船霊に神酒をあげる風習も多くみられるが,大漁の際などにもこれをまつる。…

※「つつ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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