藤谷功彦(読み)フジタニ イサヒコ

20世紀日本人名事典 「藤谷功彦」の解説

藤谷 功彦
フジタニ イサヒコ

明治・大正期の薬理学者 京都府立医学専門学校教授



生年
明治9年9月19日(1876年)

没年
大正3(1914)年2月28日

出生地
京都上京今出川通烏丸東入ル玄武町

学歴〔年〕
京都府立医専〔明治33年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔明治44年〕

経歴
子爵・藤谷為寛の弟に生まれる。明治33年京都府立療院医員となり、京都帝大助手を経て、42年母校・京都府立医学専門学校(現・京都府立医科大学)教授に就任。薬物学・医化学を専攻した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤谷功彦」の解説

藤谷功彦 ふじたに-いさひこ

1876-1914 明治-大正時代の薬理学者。
明治9年9月19日生まれ。京都帝大助手をへて,明治42年母校京都府立医専(現京都府立医大)の教授となる。大正3年2月28日死去。39歳。京都出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android