藩境塚(読み)はんきようづか

日本歴史地名大系 「藩境塚」の解説

藩境塚
はんきようづか

[現在地名]平内町狩場沢

盛岡・弘前両藩の境界の目印のために作られた塚で、双股(ふたまた)川を挟んで津軽塚二つ、南部塚二つがあり、四ッ森(よっもり)とよばれた。両藩の成立と藩界設定時期から考えて、作られたのは文禄四年(一五九五)以後と考えられ、正徳四年(一七一四)幕府の境界見分役人が約一ヵ月調査した時にはすでに境塚があったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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