西下庄(読み)にしのげのしよう

日本歴史地名大系 「西下庄」の解説

西下庄
にしのげのしよう

戦国時代にみえる庄園名。天文二年(一五三三)九月五日、田原大隅守直綱は「西下庄三分之内田地」一反を、子孫繁昌・息災延命のため日光につこう(現八鹿町)に寄進している(日光院文書)。これより先の永正九年(一五一二)九月二八日、「気多郡内西懸徳久名臨時反銭」が免除されて、日光院の社納が許可されており(「福富貞数奉書」同文書)、同一三年一〇月八日には河越治久が「徳丸孫左衛門跡、西下内徳久殿段銭」二〇貫文を日光院に安堵(「河越治久判物」同文書)、同一六年七月二七日にも斎藤右京進成辰が「西下徳久名段銭」を同じく日光院に安堵している(「斎藤成辰段銭寄進状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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