日高町
ひだかちよう
面積:一五〇・二四平方キロ
城崎郡域の南部にあり、東は豊岡市と出石郡出石町、南は養父郡八鹿町、西は美方郡村岡町、北は豊岡市と竹野町に接する。町域の東部は円山川の中流域で豊岡盆地内の国府平野・日高平野を形成し、西部は氷ノ山後山那岐山国定公園の一角を占め、蘇武岳(一〇七四メートル)など標高一〇〇〇メートル級の山々、神鍋山(四六九メートル)など死火山に囲まれ、神鍋高原や三方盆地を形成する。円山川に沿って南北に国道三一二号(旧豊岡街道)、同川支流の稲葉川に沿って東西に国道四八二号(旧西気街道)が通じる。
旧石器時代から縄文時代草創期の遺跡には伊府遺跡があり、局部磨製石斧や石鏃などが出土している。また神鍋遺跡でも旧石器時代の可能性がある石器が発見されている。縄文時代草創期・前期の遺跡には神鍋遺跡・山宮遺跡があり、とくに神鍋遺跡では竪穴住居跡や貯蔵穴・石敷炉などが発掘された。
日高町
ひだかちよう
面積:五六三・九五平方キロ
昭和三七年(一九六二)一一月沙流郡日高村が町制を施行して成立。日高村以来の四字を継承する。日高支庁管内の北端部にあり、東は十勝支庁の帯広市・河西郡芽室町・上川郡清水町、南と西は平取町、北は上川支庁の勇払郡占冠村・空知郡南富良野町に接する。日高山脈の山懐にあたり、町の東部から十勝地方との境界にかけてチロロ岳(一八七九・九メートル)・ペンケヌーシ岳(一七五〇・一メートル)・ピパイロ岳(一九一六・五メートル、頂上は帯広市・芽室町境)・ルベシベ山(一七四〇メートル)・芽室岳(一七五三・七メートル)が、平取町との境界には糠平山(一三五〇メートル)・二岐山(一五九〇・八メートル)などがそびえる山岳地帯である。沙流川が町域の北部から西部にかけて多くの支流を集めて流れ、日高市街やおもな集落も同流域に形成される。気候は内陸性気候で、夏は最高気温が摂氏三〇度、冬は最低気温が零下二〇度を超えることもある。町域西部を縦断する国道二三七号と北部を横断する国道二七四号(通称石勝樹海ロード)が交差する日高市街は、年間五〇〇万人が通過する交通の要衝となっている(平成一二年「北海道年鑑」)。
近世はサル場所のうち。
日高町
ひだかちよう
面積:四六・四〇平方キロ
紀伊半島西端に位置する日ノ御崎を基点に北東に開けた町。東は有田郡広川町、南東は御坊市、南は美浜町、北は由良町と接する。西は日ノ御崎の鏡岩(現美浜町)の西方を南端として紀伊水道に面する。
当町は西川の上・中流域とその支流志賀川の流域および日高平野の北部を占めるが、総面積の約六割は山地で、耕地面積は七・三二平方キロにすぎない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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日高〔町〕
ひだか
北海道南部,沙流川の源流部,下流部で飛び地をなす町。1962年町制施行。2006年日高町と,平取町を挟んで南西方にある門別町が合体。旧日高町の大部分は日高山脈が占め,旧門別町は沙流川下流部にあり太平洋に面する。1955年,沙流川の電源開発を契機に 1964年国鉄富内線(1986年廃線)が延長され,国道237号線,274号線の整備が進んだ。沙流川下流域では,米作,野菜栽培,畜産が行なわれる。沿岸漁業も行なわれ,シシャモを特産。競走馬の生産地としても知られる。山間部では林業が中心で,チップ材,その他の加工品は,苫小牧市,白老町,江別市へ輸送される。沙流川源流付近の原始林は国の天然記念物に指定され,日高山脈襟裳国定公園に属する。門別地区に伝わるアイヌ古式舞踊は,国の重要無形民俗文化財に指定されている。国道237号線,274号線のほか,海岸線に沿って国道235号線が通る。面積 992.14km2。人口 1万1279(2020)。
日高〔町〕
ひだか
和歌山県西部,紀伊水道に臨む町。1954年内原村,志賀村,比井崎村の 3村が合体して町制。中心集落の内原は熊野街道の旧宿場町。海岸はリアス海岸で小浦(おうら),比井,阿尾などの漁業集落があり,クエ,アジ,サバ漁が行なわれる。平野部では米を中心にミカン,野菜を栽培。東部は白馬山脈の西端で,山地ではクロチクを特産。小浦海岸,産湯(うぶゆ),田杭には海水浴場がある。白鬚神社の秋祭りである阿尾のクエ祭は有名。JR紀勢本線,国道42号線が通る。面積 46.19km2(境界未定)。人口 7673(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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