親王院(読み)しんのういん

日本歴史地名大系 「親王院」の解説

親王院
しんのういん

[現在地名]高野町高野山

龍光りゆうこう院の南にある。本尊木造不動明王坐像は円珍の作と伝え、国指定重要文化財。別格本山。「続風土記」は「院号の所由考る所なし、院譜に真如親王所住の地なるか故に親王院といふ、永享四年契状阿闍梨蓮俊房親王院と云」と記し、さらに文明五年(一四七三)の諸院家帳を考え併せて、真如開基の後、正治年間(一一九九―一二〇一)稲毛三郎重成入道が再興したかとするが、同帳は「心王院」としてそのことを記すので、これが同院かは明らかでない。現存の過去帳で歴代住持の名が知られるのは空鑁(慶長六年没)以降で、「続風土記」によれば遍明へんみよう院主空鑁が一宇を構えて再興したが、これ以前の在所はわからず、慶安―承応年間(一六四八―五五)頃に総持そうじ院と替地したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報