日本歴史地名大系 「高野町」の解説 高野町たかのちよう 広島県:比婆郡高野町面積:一五九・七六平方キロ比婆郡の西北端に位置し、南東は比和(ひわ)町、南西は口和(くちわ)町および双三(ふたみ)郡君田(きみた)村、北西は島根県飯石(いいし)郡赤来(あかぎ)町・頓原(とんばら)町、北は同吉田(よしだ)村および同県仁多(にた)郡仁多町・横田(よこた)町。北部に猿政(さるまさ)山(一二六七・七メートル)・毛無(けなし)山(九九五メートル)・大万木(おおよろぎ)山(一二一八メートル)など一〇〇〇メートル級の山々が連なり、その南麓を猿政山に発する神之瀬(かんのせ)川が西流する。 高野町こうやちよう 和歌山県:伊都郡高野町面積:一三六・〇一平方キロ伊都郡の東南山間部、高野山を中心とする町で、東から東南にかけては奈良県、北は九度山(くどやま)町と橋本市、西はかつらぎ町、南は花園(はなぞの)村に接する。西南に天狗(てんぐ)岳(九六七・八メートル)、南に水(みず)ヶ峰(一一六〇・八メートル)・陣(じん)ヶ峰(一一〇五・八メートル)、北東に防城峯(ぼうじようがみね)(七七〇メートル)、北に楊柳(ようりゆう)山(一〇〇八・五メートル)など四周を一千メートル級の山に囲まれた地で、有田川・貴志(きし)川・丹生(にう)川・不動谷(ふどうだに)川などの源流が四方に流れる。 高野町こうのちよう 兵庫県:宍粟郡山崎町山崎城下高野町[現在地名]山崎町山崎山崎城下一一ヵ町の一つ。初め高野町と称したが、のちに山崎藩士福原小左衛門が屋敷を構えたことから福原(ふくはら)町となった(宝永五年「宍粟郡志」)。城下町東部に位置し、山田(やまだ)町の北に接する東西に走る通りの両側町で、西は北魚(きたうお)町。地子米は寛文一二年(一六七二)一二石余、享保一五年(一七三〇)九石余(山崎町史)。貞享五年(一六八八)の惣町中地詰帳(阿波屋文書)によると、東西の通りは福原町東(ひがし)ノ町と福原町西ノ町に分けられ、山田町総道(そうどう)神社から北へ延びる筋が福原町東一番(ひがしいちばん)町、その西の筋が福原町東(ひがし)ヨリ二番(にばん)町で、同二番町の北にもう一筋福原町新横町三番(しんよこまちさんばん)町がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高野町」の意味・わかりやすい解説 高野〔町〕こうや 和歌山県北東部,高野山にある町。 1928年町制。 58年富貴村を編入。中心集落は高野山の隆起準平原の平坦面に位置し,空海の創建になる真言宗総本山金剛峯寺 (境内は史跡) を中心に,普門院,遍照光院,竜光院,金剛三味院など国宝を所蔵する多くの寺院,宿坊,土産物店が立地して門前町を形成。山腹一帯は高野国有林で,コウヤマキ,ヒノキ,スギなどの良材を産出。ごま豆腐が名産。名勝天徳院庭園があり,町域の大部分が高野龍神国定公園に属する。山麓まで南海電気鉄道高野線が通じ,高野龍神スカイライン,国道 371号線,480号線が通る。面積 137.03km2。人口 2970(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by