託麻原古戦場(読み)たくまばるこせんじよう

日本歴史地名大系 「託麻原古戦場」の解説

託麻原古戦場
たくまばるこせんじよう

広大な託麻原台地のうち、白川左岸の大江おおえ渡鹿とろくから南の一帯で、「国誌」のいま村の項に「詫磨原 今村ノ北東、竹宮村ノ北西ノ間、今ノ保多窪村ノ間ヲ云」とある。観応二年(一三五一)九月二九日足利直冬方の伊東大和守氏祐は、「詫摩原」において南朝方の軍勢と戦い、以後各地を転戦した(同三年一二月日「伊東氏祐軍忠状」伊東家古文状)。天授四年(一三七八)九月二九日菊池城(現菊池市)攻略をはかり、隈本藤崎くまもとふじさきに陣を構えた九州探題今川了俊の軍勢と、菊池武朝との間に当地で合戦が行われ、武朝自身負傷するなど苦戦したが、征西将軍宮良成親王の来援により今川軍を退けた(弘和三年七月日「菊池武朝申状写」志岐文書)、この合戦は南朝方にとって内乱期最後の勝利となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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