大江(読み)タイコウ

デジタル大辞泉 「大江」の意味・読み・例文・類語

たい‐こう〔‐カウ〕【大江】

大きな川。大河。
揚子江ようすこうのこと。→大河
[類語]大川おおかわ大川たいせん大河江河河川小川細流山川谷川渓流せせらぎ流れ川面水面どぶ川氷河川面かわづら

おおえ〔おほえ〕【大江】

姓氏の一。
平安時代の学問の名家。もと土師宿禰はじのすくねで、のち大枝朝臣おおえのあそんの姓を賜り、音人おとんどのとき大江に改めた。
[補説]「大江」姓の人物
大江健三郎おおえけんざぶろう
大江卓おおえたく
大江朝綱おおえのあさつな
大江音人おおえのおとんど
大江千里おおえのちさと
大江広元おおえのひろもと
大江匡衡おおえのまさひら
大江匡房おおえのまさふさ

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精選版 日本国語大辞典 「大江」の意味・読み・例文・類語

たい‐こう ‥カウ【大江】

[1] 〘名〙 大きな川。
太平記(14C後)二九「薪を負ふて焼原を過ぎ、雷を戴いて大江を渡すが如く恐れき」
[2] 特に、中国の揚子江をいう。〔楚辞‐九歌〕

おおえ おほえ【大江】

大阪市中央区、大川(旧淀川)南岸の旧称。天満橋より下流、中之島の東端付近といわれる。大江の岸。渡辺

おおえ おほえ【大江】

姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「大江」の解説

大江
おおえ

[現在地名]南有馬町大江

南有馬村の東部中ほどに位置し、南部は広い入江を形成する。中世には海に臨んではら城が築かれていた。一五七六年(天正四年)有馬に滞在していたイエズス会のコエリヨ神父がウラタから乗船して口之津くちのつ(現口之津町)に向かおうとしたところ、オオエOyeの人々が受洗を希望してきたものの、あまりの疲労にその要求に応じるのを先に延ばすことを求めたが、陸上では多くの仲間らが、海上ではその持船で司祭を取囲み、洗礼を受けるまでは出発に同意しないというので、村に仏僧をとどめないこと、および全員がキリシタンになることを条件として授洗したという(フロイス「日本史」)

大江
おおえ

勢多せた橋の東、東海道沿いに位置し、史料上は北の大萱おおがやとともに勢多郷の内としてみえ、大江のほか大江保・大江庄などとも出る。交通の要所で、「大江宿」の存在も知られ、軍事面でも重要な位置を占めたことは大萱と同様。「後鳥羽院宸記」建保二年(一二一四)四月一五日条に「大江」とみえ、日吉祭の供御備進に端を発する争いで三井みい寺衆徒が当地辺りに出会い、山門所司・公人に矢を射掛けている。寛喜三年(一二三一)伊勢奉幣のための駅家雑事が「山門領大江保」に賦課されている(「民経記」同年一〇月九日条)。同保は延暦寺の道祐法印(九条兼実の甥)の所領であったが、天福元年(一二三三)九月に没した藻壁門院(兼実の曾孫)の菩提を弔うために道祐より法華堂に寄進されて九条道家(藻壁門院の父)の所領となり、建長二年(一二五〇)子の一条実経に譲られた(「九条道家初度惣処分状」九条家文書)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大江」の意味・わかりやすい解説

大江
おおえ

京都府北西部、加佐郡(かさぐん)にあった旧町名(大江町(ちょう))。現在は福知山市(ふくちやまし)北東部の一地区。旧大江町は1951年(昭和26)河守(こうもり)町が河守上、河西(かわにし)、河東、有路上(ありじかみ)、有路下の5村を編入して成立。2006年(平成18)福知山市に編入。由良(ゆら)川が貫流し、北部には大江山がそびえる。京都丹後鉄道宮福線が通じ、国道175号が走る。江戸時代には福知山と河口の由良(宮津市)とを結ぶ由良川の水運が栄え、その中継地であった。旧町域の大部分が山地で、水田は少ないが、「えびいも」「堀川ごぼう」などの京都伝統野菜の栽培が盛んで、養鶏、酪農も行われる。宮川沿いに内宮(ないく)、外宮(げくう)という集落があり、伊勢(いせ)に遷座する以前は皇大神宮が置かれていたと伝えられ、俗に元伊勢とよばれる。天田内(あまだうち)にある豊受(とようけ)大神社(外宮)の社殿は伊勢神宮と同じく神明(しんめい)造である。

織田武雄

『『大江町史』(1984・大江町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大江」の意味・わかりやすい解説

大江
おおえ

熊本県南西部,天草市北西部の旧村域。天草諸島下島西部に位置する。 1889年村制施行。 1956年高浜村,福連木村,下田村と合体して天草町となり,2006年本渡市,牛深市,有明町,御所浦町,倉岳町,栖本町,新和町,五和町,河浦町の2市7町と合体して天草市となる。隠れキリシタンの里として知られ,小高い丘の上にロマネスク風石造の大江天主堂が建っている。付近は風光に優れ,海岸沿いは雲仙天草国立公園に属する。

大江
おおえ

京都府北西部,福知山市北部にある旧町域。由良川中流域にある。 1951年河守町,河守上村,河西村河東村,有路上村,有路下村が合体し大江町が成立。 2006年福知山市に編入。北に酒呑童子の伝説などで知られる大江山がそびえる。中心集落の河守はかつて由良川の河港として繁栄。由良川沿いの狭い平地を除き,ほとんどが山地で覆われる。養蚕,酪農,養鶏のほか,小規模ながら製材や綿織物工業も行なわれる。福知山と宮津を結ぶ陸上交通の要地。かつて由良川沿岸ではしばしば水害が起こった。

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改訂新版 世界大百科事典 「大江」の意味・わかりやすい解説

大江[町] (おおえ)

山形県中央部,西村山郡の町。1959年左沢(あてらざわ)町,漆川村が合体,改称。人口9227(2010)。村山平野の西に位置し,町域は朝日山系を源とする月布川沿いに東西に細長く続く。西部に広がる山林の大半は国有林である。月布川と最上川の合流点に中心市街地左沢があり,かつては米沢と酒田を結ぶ舟運の中継地として栄え,近世には青苧(あおそ),生糸の取引が行われた。民謡《最上川舟唄》の発祥地としても知られる。1965年ころから人口が減少し,過疎化が進んでいる。農林業が主産業で,水稲のほか,近年はリンゴ,ブドウなどの果樹栽培が伸びている。ニット産業,ベントナイト製造業を主とする工業も行われる。JR左沢線が通じる。
執筆者:

大江(京都) (おおえ)

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