日本歴史地名大系 の解説 谷中感応寺門前浅草山川町やなかかんのうじもんぜんあさくさやまかわちよう 東京都:台東区旧浅草区地区谷中感応寺門前浅草山川町[現在地名]台東区浅草六丁目浅草聖天横(あさくさしようでんよこ)町の北にあり、東は谷中村飛地畑地・浅草新鳥越(あさくさしんとりごえ)町分畑地、西は浅草田(あさくさた)町一丁目、北は日本(にほん)堤。この地はもと浅草寺領で、寛文四年(一六六四)江戸城天守閣普請の際に砂利取場として収公され、代地が山之宿(やまのしゆく)・今戸(いまど)の内で与えられた。当町内を俗に埋堀(うめぼり)というのは砂利取場となったのち埋立てたことに由来する。宝永七年(一七一〇)東叡山内に囲い込まれた谷中感応寺門前の代地となり、谷中感応寺門前浅草山川町と称するようになった(文政町方書上)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by