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感応寺 かんのうじ

百科事典マイペディアの解説

感応寺【かんのうじ】

鹿児島県出水市にある臨済宗東福寺派の寺。本尊千手観音。鎌倉時代栄西(えいさい)が創建。その後七堂伽藍が造営されたという。近世まで寺観を誇ったが,明治維新後鹿児島で徹底して行われた廃仏毀釈によって廃絶,1880年に再興された。当地にあった木牟礼(きむれ)城は島津家初代忠久が築かせた城で,当寺に同氏が鹿児島に進出するまでの5代の墓が現存する。

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世界大百科事典 第2版の解説

かんのうじ【感応寺】

東京都台東区にある寺。現在は天台宗で,天王寺と改称し,山号は護国山。もと長耀山感応寺という日蓮宗の寺院で,日蓮の弟子日源によって開創されたと伝えられる。寛永年間(1624‐44)に住持日長は将軍徳川家光と英勝院の援助を受けて,広壮な伽藍を建立した。しかし,寛文年間(1661‐73)から江戸幕府は日蓮宗の不受不施派を弾圧し始めたので,この派に属した感応寺は幕命によって天台宗に改宗された。現在の山寺号に改称したのは,1833年(天保4)のことである。

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世界大百科事典内の感応寺の言及

【谷中】より

…元禄年間(1688‐1704)ころまでに大半は市街地化したが,とくに慶安年間(1648‐52)以後,神田台方面からの寺院の集中などによって大規模な寺町が成立し,俗に〈谷中八丁に九十八ヵ寺〉といわれた。その中心をなした感応寺(天王寺)は応永年間(1394‐1428)の創建と伝えるが,3代将軍家光の代(1623‐51)に寺域を大拡張した。以来,毘沙門天をまつる巨刹として知られることとなったが,富くじ興業の勧進元としても有名で,のちに湯島天神,目黒不動とともに〈江戸の三富〉といわれた。…

※「感応寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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