その後寺勢は一時衰退したが、元亨三年(一三二三)に島津忠宗が祖興(雲山)を中興開山に迎えて再興、忠宗から貞久の代にかけて整備され、京都東福寺を倣った七堂伽藍を誇ったという。
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東京都台東区にある寺。現在は天台宗で,天王寺と改称し,山号は護国山。もと長耀山感応寺という日蓮宗の寺院で,日蓮の弟子日源によって開創されたと伝えられる。寛永年間(1624-44)に住持の日長は将軍徳川家光と英勝院の援助を受けて,広壮な伽藍を建立した。しかし,寛文年間(1661-73)から江戸幕府は日蓮宗の不受不施派を弾圧し始めたので,この派に属した感応寺は幕命によって天台宗に改宗された。現在の山寺号に改称したのは,1833年(天保4)のことである。感応寺は江戸の富くじ興行で有名となり,湯島天神,目黒不動とともに江戸の三富と呼ばれた。また,当寺にあった五重塔は幸田露伴の《五重塔》のモデルとして知られる。
執筆者:中尾 尭
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…元禄年間(1688‐1704)ころまでに大半は市街地化したが,とくに慶安年間(1648‐52)以後,神田台方面からの寺院の集中などによって大規模な寺町が成立し,俗に〈谷中八丁に九十八ヵ寺〉といわれた。その中心をなした感応寺(天王寺)は応永年間(1394‐1428)の創建と伝えるが,3代将軍家光の代(1623‐51)に寺域を大拡張した。以来,毘沙門天をまつる巨刹として知られることとなったが,富くじ興業の勧進元としても有名で,のちに湯島天神,目黒不動とともに〈江戸の三富〉といわれた。…
※「感応寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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