谷地乙森村(読み)やちおともりむら

日本歴史地名大系 「谷地乙森村」の解説

谷地乙森村
やちおともりむら

[現在地名]中仙町豊川とよかわ 八地乙森

斉内さいない川の北方平坦地にあり、南は東長野ひがしながの村、東は米沢新田よねざわしんでん村、北と西は長楽寺ちようらくじ村・袴田はかまだ村と接する。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に乙森村二一一石と記載される。享保一四年(一七二九)の黒印高帳(秋田県庁蔵)には本田高一九七石余、本田並が六石余、新田が二石余で、当高合計は一七二石余とある。「月の出羽路」に隣村長楽寺ちようらくじ村や東長野村の一部を含めて乙森と呼称したという。黒印高帳の宝暦一三年(一七六三)の張紙によると当高合計一一八石余に減少した(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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