日本歴史地名大系 「豆塚・桝塚」の解説 豆塚・桝塚まめづか・ますづか 京都市:北区深泥ヶ池村豆塚・桝塚[現在地名]北区上賀茂狭間町付近深泥池(みどろいけ)付近にあったといわれる小塚。豆(大豆)塚は魔滅塚とも書き、江戸時代の名所記によれば池の艮(北東)にあり、往古は塚の上に小祠があったという。「雍州府志」には「相伝フ、寛平年中洛下疫癘流行、依テ神託ニ而斯ノ処ニ勧請ス貴船ノ神ヲ、除夜ニ土人舁テ神輿ヲ而巡ル此ノ池、爾後入レ炊リ豆於舛ニ而撒キ四方ニ追フ疫鬼ヲ、然ノ後ニ納ム残豆并ニ舛ヲ土中ニ、故ニ其ノ処ヲ称ス豆メ塚」とあり、呼称の由来を記すとともに、貴船(きぶね)神との結びつきが述べられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報