東京都二三区の北部に位置し、北は荒川を隔てて埼玉県川口市・戸田市、東は荒川区ならびに隅田川を隔てて足立区に接する。西は板橋区、南は豊島区・文京区。区域は南西から北東にかけてが約二・九キロ、南東から北西にかけてが約九・三キロと細長い地形をしている。この二・九キロのほぼ南西部半分が武蔵野台地、北東部が東京低地で、二つの地域は崖線で分けられる。崖線の下を崖に沿って南東から北西にJR京浜東北線、区最南端をJR山手線が通り、ほぼ中央を都心と埼玉県とを結ぶJR赤羽線(埼京線)・営団地下鉄南北線が縦断している。都電荒川線が南から入り、東へと抜ける。主要道としては国道一七号(中山道)が南端を通るほか、国道一二二号、本郷通・明治通・環七通が通っている。
各時代の遺跡は台地上の縁辺や崖下、隅田川沿いなどに分布する。旧石器時代では
平安時代末期頃に桓武平氏良文流の豊島氏が豊島本郷に本拠を構え、豊島郡内の所領をもとに豊島庄を成立させた。豊島本郷の現
このように北区は京都盆地北部の山岳及び平野部からなり、山麓部は早い時期から集落の出現をみたが、殊に八世紀末の平安遷都により、王城の北部に広がる七野の地は都市の近郊としての性格を付与され、その機能を果すようになる。この基本的な性格は、その後における平安京―京都の都市的発展によってますます顕著となる。
北部の山麓部は、原始人の生活条件を満足する地帯であったから、京都盆地周辺部のなかでも最も早い時期に開けた地域の一つで、
この地域に蟠居した古代の豪族として賀茂氏と出雲氏が知られる。前者は南山城の
大阪市の中央北部にあり、東は大川を隔てて
昭和四七年(一九七二)に札幌市が政令指定都市に移行したことで設置。市の北部に位置し、北西から北は
市の北部に位置し、東は春日井市および
原始時代には伊勢湾が西方へ深く入込み、当区から西区にかけて
昭和四八年(一九七三)兵庫区から分区して成立。神戸市の区のなかでは最も面積が広く、市域の北半部を占めるが大部分は山地。南は芦屋市・東灘区・灘区・中央区・兵庫区・長田区・須磨区、西は西区・三木市、北は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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