北区(読み)キタク

デジタル大辞泉 「北区」の意味・読み・例文・類語

きた‐く【北区】[東京都]


きた‐く【北区】[札幌市]


きた‐く【北区】[さいたま市]


きた‐く【北区】[名古屋市]


きた‐く【北区】[京都市]


きた‐く【北区】[大阪市]


きた‐く【北区】[神戸市]


きた‐く【北区】[堺市]


きた‐く【北区】[新潟市]


きた‐く【北区】[浜松市]


きた‐く【北区】[岡山市]


きた‐く【北区】[熊本市]

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日本歴史地名大系 「北区」の解説

北区
きたく

面積:二〇・五九平方キロ

東京都二三区の北部に位置し、北は荒川を隔てて埼玉県川口市・戸田市、東は荒川区ならびに隅田川を隔てて足立区に接する。西は板橋区、南は豊島区・文京区。区域は南西から北東にかけてが約二・九キロ、南東から北西にかけてが約九・三キロと細長い地形をしている。この二・九キロのほぼ南西部半分が武蔵野台地、北東部が東京低地で、二つの地域は崖線で分けられる。崖線の下を崖に沿って南東から北西にJR京浜東北線、区最南端をJR山手線が通り、ほぼ中央を都心と埼玉県とを結ぶJR赤羽線(埼京線)・営団地下鉄南北線が縦断している。都電荒川線が南から入り、東へと抜ける。主要道としては国道一七号(中山道)が南端を通るほか、国道一二二号、本郷通・明治通・環七通が通っている。

〔原始・古代〕

各時代の遺跡は台地上の縁辺や崖下、隅田川沿いなどに分布する。旧石器時代では赤羽台あかばねだい遺跡など六遺跡が知られ、縄文時代に入ると、貝塚一〇遺跡を含む三二遺跡がある。縄文前期では土壙を伴う大型環状集落の西ヶ原にしがはら七社神社前ななしやじんじやまえ遺跡、縄文中期の低地性大型貝塚中里なかざと貝塚、縄文後期の西ヶ原貝塚が著名である。また中里遺跡から独木舟が出土している。弥生時代では後期を中心に二七遺跡が数えられ、中期では飛鳥山あすかやま遺跡と王子本おうじほん町の亀山かめやま遺跡、後期では赤羽台遺跡の環濠集落が調査されている。後期から古墳時代前期に継続する集落も多いが、隅田川沿いではガラス小玉鋳型が出土した豊島馬場としまばんば遺跡に代表されるように、沖積低地に新たな集落が登場する。古墳は一二ヵ所で、うち赤羽台・飛鳥山・十条台じゆうじようだい田端西台通たばたにしだいどおりの各後期古墳群が明確である。律令制下では豊島郡に属した。「和名抄」にみえる豊島郡駅家うまや郷を区域に比定する説があり、集落遺跡も多い。なかでも西ヶ原の御殿前ごてんまえ遺跡は武蔵国豊島郡衙跡とされ、郡庁・正倉などの遺構が多数発見されている。また「延喜式」所載の豊島駅を同遺跡に想定する説がある。

〔中世〕

平安時代末期頃に桓武平氏良文流の豊島氏が豊島本郷に本拠を構え、豊島郡内の所領をもとに豊島庄を成立させた。豊島本郷の現清光せいこう寺はその館跡、王子の若一王子おうじのにやくいちおうじ(現王子神社)は同庄総鎮守とみられる。豊島本郷から石神井しやくじい川沿いの上流に位置する滝之川たきのがわ(滝野川)、台地上に東に続く平塚ひらつか郷も豊島氏の所領であった。滝之川は古代官道と鎌倉街道中道の交差地点、平塚郷は旧豊島郡衙所在地と、いずれも重要拠点であったとみられる。


北区
きたく

面積:九四・六二平方キロ

愛宕おたぎ葛野かどのの二郡にまたがり、旧平安京のうち右京の東北部を含む。左京区に次ぐ広域区。ただしその大部分は山間部。賀茂かも川は当区くもはたに源流して上賀茂扇状地を形成、また鷹ヶ峰たかがみねの西北に源流して平野ひらの北野きたの社の間を南流する紙屋かみや川(天神てんじん川)は、京中では西堀にしほり川とよばれた。千本せんぼん通(旧朱雀すざく大路)の北方に位置する船岡ふなおか山は、いわゆる洛北七野に孤立する丘陵で、平安京における玄武の山とされた。

このように北区は京都盆地北部の山岳及び平野部からなり、山麓部は早い時期から集落の出現をみたが、殊に八世紀末の平安遷都により、王城の北部に広がる七野の地は都市の近郊としての性格を付与され、その機能を果すようになる。この基本的な性格は、その後における平安京―京都の都市的発展によってますます顕著となる。

〔原始〕

北部の山麓部は、原始人の生活条件を満足する地帯であったから、京都盆地周辺部のなかでも最も早い時期に開けた地域の一つで、上賀茂本山かみがももとやまからは木葉形尖頭器や有茎尖頭器など、先土器時代遺跡・遺物が発見されている。殊にこの周辺地域(左京区にまたがる)の特徴は、土質と燃料に恵まれたことで早くから窯が造られ、須恵器窯跡をはじめ飛鳥・白鳳・奈良時代のものから平安時代に至る間の瓦窯・陶窯の跡が多数発見されており、これは平安造都時において最高度に機能する。

〔古代〕

この地域に蟠居した古代の豪族として賀茂氏と出雲氏が知られる。前者は南山城の岡田おかだ(現相楽郡加茂町)を経て北上し、「久我国北山麓」に定住したという伝承(「山城国風土記」逸文)を持ち、賀茂社を創建してその祠官となる一方、主殿寮・主水司に属して薪炭・氷水などを貢納した。


北区
きたく

面積:五・五四平方キロ

大阪市の中央北部にあり、東は大川を隔てて都島みやこじま区、南から西は大川と大川の分流土佐堀とさぼり川・堂島どうじま川で東区・西区・福島区と境し、西から北は大淀区と接する。南西部は中之なかの島が西に突出し、これを挟む堂島川と土佐堀川が南西端で合流する。大阪の陸の玄関口である大阪駅が北西部を占め、国鉄東海道本線・大阪環状線が通り、阪急京都・宝塚・神戸の各線、阪神本線が各梅田駅を起点とする。国道一号・二号・二五号・一七六号、阪神高速環状線・大阪―守口線、主要地方道大阪―箕面線(新御堂筋線)が走り、地下鉄御堂筋線・堺筋線・四つ橋線・谷町線が通る。

〔古代―中世〕

上町うえまち台地北方にあたる当地は、早くから開けた地域であったと思われる。難波の入江の一つであった安曇あずみ江は、野崎のざき町の「アドヱ」一帯とみられており、聖武天皇が行幸した事跡がある。また太融たいゆう寺などの古刹もあり、大川を隔てて摂津国衙もあったと考えられる。平安期には河埼かわさき庄・安曇江あずみえ庄・新羅江しらぎえ庄などがあり、また大川両岸は渡辺わたなべとして渡辺党の根拠地でもあった。室町期には国分寺こくぶんじ(現大淀区)、渡辺・曾根崎そねさき・堂島の開発も進んでいたらしく、崇禅そうぜん(現東淀川区)領の田畑ができている。中島天満なかじまてんまん宮といわれた天満天神(現大阪天満宮)も史上に現れている。


北区
きたく

面積:六三・四八平方キロ

昭和四七年(一九七二)に札幌市が政令指定都市に移行したことで設置。市の北部に位置し、北西から北は発寒はつさむ川・茨戸ばらと川を境に石狩市、北東はおおむね石狩川を境に石狩郡当別とうべつ町、南東は東区、南は中央区、南西は西区、西は手稲区と接する。東区との区境から中央部を創成そうせい川、北東部を伏籠ふしこ(古豊平川)が流れ、発寒川とともに茨戸川に注ぐ。南端部が札幌扇状地の扇端部にかかるほかは、区域のほとんどが石狩海岸平野のうち後背低地で、紅葉山もみじやま砂丘内側に展開する同低地は旧豊平川や石狩川・伏籠川などによって形成された沖積地や泥炭地からなる。国道五号は東区との境界を創成川沿いに北進し、北三十三条と北三十四条の間で西に折れて西区に向かう。同二三一号は、同五号が西に折れる地点から創成川沿いに北上を続け、石狩市に抜けている。中央区との境をJR函館本線が走り、札幌駅がある。


北区
きたく

面積:一七・六一平方キロ

市の北部に位置し、東は春日井市および守山もりやま区、北は西春日井郡豊山とよやま師勝しかつの両町、西は西区、南は東・中の両区に隣接する。全区はほとんど低平な沖積平野からなり、中央部を庄内川とその支流矢田やだ川が東から西へ流れ、区の西端近くで合している。

原始時代には伊勢湾が西方へ深く入込み、当区から西区にかけて西志賀にししが貝塚があり、また白山藪はくさんやぶ古墳跡なども発掘され、弥生時代前期から古墳時代に至る土器・石器・須恵器・銅および鉄器・玉などを出している。律令時代には山田やまだ春部かすがべの両郡に属したが、荘園の増大に伴って、山田郡は山田庄、春部郡は安食あじき庄などが栄え、初めは醍醐だいご寺など大寺院の所領が多かった。末期に至って山田・安食など尾張源氏の諸族が勢力を張った。


北区
きたく

面積:二四〇・三一平方キロ(境界未定)

昭和四八年(一九七三)兵庫区から分区して成立。神戸市の区のなかでは最も面積が広く、市域の北半部を占めるが大部分は山地。南は芦屋市・東灘区・灘区・中央区・兵庫区・長田区・須磨区、西は西区・三木市、北は美嚢みのう吉川よかわ町・三田市、東は宝塚市・西宮市に接する。南部に六甲ろつこう山地、中央部に丹生たんじよう山地、北部に北摂丘陵が横たわり、山間を西流する山田やまだ川・淡河おうご川が合流して志染しじみ川となる。


北区
きたく

1989年2月13日:北区・大淀区が合区
【北区】大阪府:大阪市
【大淀区】大阪府:大阪市


北区
きたく

2003年4月1日:さいたま市の政令指定都市移行に伴い、中央区・北区・西区・大宮区・見沼区・南区・桜区・浦和区・緑区を設置
【さいたま市】[変更地名]埼玉県


北区
きたく

2007年4月1日:新潟市の政令指定都市移行に伴い、中央区・東区・西区・北区・江南区・秋葉区・南区・西蒲区を設置
【新潟市】[変更地名]新潟県


北区
きたく

2007年4月1日:浜松市の政令指定都市移行に伴い、中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区を設置
【浜松市】[変更地名]静岡県


北区
きたく

2006年4月1日:堺市の政令指定都市移行に伴い、堺区・中区・東区・西区・南区・北区・美原区を設置
【堺市】[変更地名]大阪府


北区
きたく

2012年4月1日:熊本市の政令指定都市移行に伴い、中央区・北区・西区・南区・東区を設置
【熊本市】[変更地名]熊本県


北区
きたく

2009年4月1日:岡山市の政令指定都市移行に伴い、中区・東区・北区・南区を設置
【岡山市】[変更地名]岡山県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北区」の意味・わかりやすい解説

北〔区〕
きた

岡山県南部,岡山市北西部の区。吉備高原に属する北部の山間地と東部を流れる旭川流域の平野からなり,市域の約 6割を占める。2009年岡山市の政令指定都市化に伴い区制。中心市街地は区域南東部に位置し,江戸時代には池田氏の城下町として発展。今日では県庁をはじめとする行政機関,大学,美術館などの教育・文化機関および商業施設が集中し,県の政治・文化・経済の中心地。市街地北部の一宮津高などの地区ではブドウやモモの栽培が行なわれ,北部の山間部では酪農が盛ん。御津工業団地や岡山リサーチパークなどの工業団地も立地する。後楽園(国指定特別名勝),吉備津神社(本殿と拝殿は国宝)をはじめ,岡山城高松城跡,造山古墳(→総社古墳群)など数多くの文化財や史跡を有する。北部が吉備清流県立自然公園,西部が吉備史跡県立自然公園,南西部が吉備路風土記の丘県立自然公園に属する。中部に岡山空港があり,南東部の岡山駅で山陽新幹線,JR山陽本線,津山線,吉備線,宇野線が交差する交通の要所。山陽自動車道,岡山自動車道のインターチェンジがあり,国道2号線,53号線,180号線,429号線,484号線などが通じる。面積 450.70km2。人口 31万4523(2020)。

北〔区〕
きた

静岡県西部,浜松市中西部の区。浜名湖の北岸に広がり,北部に標高 400~700m級の山地が広がる。北西で愛知県に接する。 2007年浜松市の政令指定都市化に伴い区制。 2005年の合併以前の旧浜松市域北部と旧細江町,引佐町,三ヶ日町域からなる。丘陵地ではミカン栽培,都田川と井伊谷川が合流する沖積地では米作が行なわれる。南東部の都田地区では浜松地域テクノポリスの中核として,産・学・住が調和した都市整備が進められている。区内には古社寺が多く,方広寺の七尊菩薩堂,宝林寺の仏殿および方丈,浜名惣社神明宮本殿は国の重要文化財に指定。浜納豆の元祖として知られる大福寺や摩訶耶寺 (まかやじ) ,井伊谷宮なども国指定重要文化財の美術・工芸品等を所蔵する。北部の寺野と川名で毎年1月に行なわれる伝統行事の「ひよんどり」は,「遠江のひよんどりとおくない」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。南北朝期の井伊氏の本城であった三岳城跡は国の史跡に,小堀遠州作の竜潭寺庭園は名勝に指定。浜名湖の周囲一帯は浜名湖県立自然公園に属する。天竜浜名湖鉄道,東名高速道路,国道 257号線,301号線,362号線が通じる。面積 295.54km2。人口 9万2688(2020)。

北〔区〕
きた

京都府南東部,京都市中北部の区。1955年上京区から分区して新設。南部は京都盆地に含まれる平地であるが,大部分は北山に属する山地が占める。盆地に含まれる部分は山麓に形成された隆起扇状地や洪積台地が多く,古くから集約的な野菜栽培が行なわれ,特に上賀茂スグキナは京都名産の酸茎漬に加工されて有名。第2次世界大戦後しだいに宅地化が進み,農業は衰微しつつある。小野,中川,雲ヶ畑などの集落のある山地部は,北山の林業地域。特に清滝川に沿う中川を中心とした北山杉の美林は名高く,磨き丸太に加工,東京方面へも出荷される。大徳寺鹿苑寺賀茂別雷神社,光悦寺,竜光院,孤篷庵など有名な社寺があり,国宝,史跡・名勝も数多い。今宮神社で行なわれる,やすらい花は国の重要無形民俗文化財。深泥池生物群集,大田ノ沢のカキツバタ群落は国の天然記念物。西部を周山街道が通る。面積 94.88km2。人口 11万7165(2020)。

北〔区〕
きた

大阪市の中央北部,新淀川 (淀川) と旧淀川に囲まれた区。 1989年,大淀区を合区。区名は 1889年市制施行と同時に設置された4区のうち,いちばん北に位置したことに由来。南部の堂島川右岸の堂島と,堂島川と土佐堀川に囲まれた中之島は旧淀川の中州で,江戸時代には諸藩の蔵屋敷のあったところ。現在は高層ビルの林立するビジネス地区で,経済の中心地であるとともに市庁をはじめ日本銀行大阪支店,中央公会堂,大手新聞社などが集中する行政,文化の中心地。堂島の北,梅田地区には JR大阪駅があり,阪急電鉄,阪神電気鉄道,地下鉄四つ橋線,御堂筋線,谷町線,バスなども集り,大阪市の表玄関をなす。一帯にはデパート,地下商店街,映画館,飲食街などがあり,「キタ」と呼ばれる繁華街をなす。大阪駅付近一帯の再開発が進められ,活況を呈している。東部の天満 (てんま) 地区は天満宮と造幣局で知られる。毎年7月 24日から 25日にかけて行われる天満宮の天神祭は,天下の三大祭の一つとして名高い。北部の JR大阪環状線の外側は工業地帯で,大工場が立地,倉庫も多くトラック・ターミナルや商店,中小工場,住宅などが密集する。面積 10.34km2。人口 13万9376(2020)。

北〔区〕
きた

大阪府中西部,堺市北部の区。北は大和川を隔てて大阪市に接する。2006年堺市の政令指定都市化に伴い区制。1987年大阪市営地下鉄(現大阪市高速電気軌道)御堂筋線の延伸を機に宅地化が進み,駅を中心に商業施設の整備も進んだ。堺区西区にまたがる百舌鳥には,いたすけ古墳(国指定史跡)やニサンザイ古墳など多くの古墳を擁する百舌鳥古墳群があり,2019年世界遺産の文化遺産に登録。江戸時代の庄屋屋敷の様式を伝える高林家住宅は,国の重要文化財に指定。大阪市高速電気軌道御堂筋線が中央部を南北に走り,南海電気鉄道高野線,泉北高速鉄道,国道310号線が南部を通る。面積 15.60km2。人口 15万9757(2020)。

北〔区〕
きた

新潟県中部,新潟市北東端の区。阿賀野川の河口右岸に位置し,日本海に面する。 2007年新潟市の政令指定都市化に伴い区制。 2005年の合併以前の旧新潟市北東部,旧豊栄市全域と横越町の一部からなる。北東部の聖籠町との境に国際貿易港の新潟東港があり,付近一帯は日本海側最大規模の工業地帯 (新潟工業地域 ) を形成する。米作や野菜の施設園芸などの農業も行なわれ,ナス,トマトを特産。古くから織物業が盛んで,綿織物の葛塚縞は有名。南東部の福島潟はオオヒシクイなどの鳥類の飛来地として知られ,周囲は公園として整備されている。中北部に日本中央競馬会の新潟競馬場がある。 JR白新線,国道7号線,113号線が通り,日本海東北自動車道のインターチェンジがある。面積 107.61km2。人口 7万2804(2020)。

北〔区〕
きた

熊本県中部,熊本市北部の区。熊本平野の北部に位置する。南東部の東区との境を白川が流れる。2012年熊本市の政令指定都市化に伴い区制。スイカ,メロンなどの野菜栽培が盛ん。区域南部の八景水谷公園(はけのみやこうえん)には熊本市上水道の主要水源の一つ八景水谷があり,サクラの名所としても知られる。西南戦争の古戦場として有名な田原坂宮本武蔵の墓所武蔵塚などの史跡がある。6世紀後半のものと考えられる釜尾古墳は国の史跡に指定。植木温泉,宮原温泉などの温泉地がある。JR鹿児島本線,九州縦貫自動車道,国道3号線,208号線が通る。面積 115.34km2。人口 13万9833(2020)。

北〔区〕
きた

東京都 23特別区の一つ。 1947年滝野川区と王子区が合併して成立。北部と東部の荒川隅田川沿いは沖積低地で,工場,商店,住宅の混在地域。赤羽,王子には商店街が繁栄し,川沿いには化学,金属工業を中心とする大工場と中小工場が立地。北西部の台地は第2次世界大戦までは軍事施設が多かったが,現在では大規模住宅団地となった。王子にある飛鳥山公園は江戸時代からサクラの名所として知られる。また,西ヶ原一里塚は史跡。 JR京浜東北線,埼京線,山手線,東京地下鉄南北線,都電荒川線が通る。面積 20.61km2。人口 35万5213(2020)。

北〔区〕
きた

兵庫県神戸市北部,六甲山地の北麓からその北方の丘陵地域に広がる区。 1973年兵庫区から分離,新設。市域の約 45%を占める。有馬温泉で知られる有馬を除くと農村的色彩の強い地域であったが,1955年頃から住宅地として着目され,神戸電鉄沿線を中心に急激な住宅地化が進んだ。沿線以外は野菜,イチゴ,ユリ,庭木などの栽培が行われる近郊農業地域。六甲北道路,六甲トンネル,北神急行電鉄,新神戸トンネル,第二新神戸トンネルなどで市中央部と結ばれる。面積 240.29km2(境界未定)。人口 21万492(2020)。

北〔区〕
きた

埼玉県南東部,さいたま市北部の区。 2003年,さいたま市の政令指定都市化に伴って区制。中央を中山道 (国道 17号線) ,国道 16号線のほか,東北・上越新幹線,JR川越線,高崎線,東北本線が通り,ニューシャトルの駅もあり,交通の利便性が高い。日進町には陸上自衛隊大宮駐屯地がある。区内の盆栽村には漫画会館があり,日進町には餅つき踊りが伝わるなど伝統文化も継承されている。面積 16.86km2。人口 14万9242(2020)。

北〔区〕
きた

愛知県西部,名古屋市の北部に位置する区。 1944年区制。庄内川,矢田川が東から西へ流れ,その沿岸に繊維・染色工場,JR中央本線沿いに陶磁器工場が立地。名神高速道路小牧インターチェンジに通じる国道 41号線バイパス沿いは農業地域であったが,近年は住宅団地の進出が著しく,人口も急増。南西端の名城公園は名古屋城を南に望む憩いの場所である。面積 17.53km2。人口 16万2956(2020)。

北〔区〕
きた

北海道中西部,札幌市の北東部を占める区。 1972年区制。 JR函館本線札幌駅北側の北海道大学から石狩川下流域の新琴似,篠路 (しのろ) などの旧農村地域に及ぶ。農業地域と札幌ニュータウンなどの新興住宅地から成り,人口増加が著しい。面積 63.57km2。人口 28万9323(2020)。

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