豆田庄(読み)まめだのしよう

日本歴史地名大系 「豆田庄」の解説

豆田庄
まめだのしよう

上道郡豆田郷(和名抄)の郷名を継いだものか。庄内にあった荒沼の四至からすると、庄域は吉井川右岸の現広谷ひろたにから旧海岸一帯に推定される。当初は奈良西大寺領であった。宝亀一一年(七八〇)西大寺資財流記帳(奈良西大寺文書)に、上道広成の献じた備前国大豆田庄庄図一巻の記載がある。建久二年(一一九一)の西大寺領注文(同文書)に「豆田庄 田畠五十七町」とあるが、当時すでに有名無実であった。元亨元年(一三二一)一〇月九日、後宇多上皇上東じようとう郡豆田郷内荒沼一所を京都東寺に寄進、その四至は東は金岡かなおか庄、西は可知かち郷、南は海、北は山であった(「後宇多上皇院宣」東寺百合文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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