豊竹嶋太夫(読み)トヨタケ シマタユウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「豊竹嶋太夫」の解説

豊竹 嶋太夫(6代目)
トヨタケ シマタユウ


職業
太夫節太夫

別名
通称=小西 平吉,前名=豊竹 千鳥太夫,後名=竹本 嶋太夫

生年月日
天保1年

出生地
大坂(大阪府)

経歴
義太夫節浄瑠璃太夫の家系。豊竹湊太夫の門弟。安政元年大阪の実母の許で修行、3年10月稲荷文楽芝居で「岸姫松轡鑑」の大序を務めたのが大阪初舞台。万延元年正月まで大序を語り、のち大序の長。一時江戸に下ったが、元治元年御霊裏門芝居で「加賀見山」の茶店の段と「和田合戦」市若切腹の口、「忠臣蔵」勘平住家などを語って好評。のち阿弥陀池境内、天満境内、京都の芝居に出て名声を得た。慶応末再び江戸に下り豊竹嶋太夫の名跡を継ぎ、明治2年帰阪、7年竹田芝居、堀江芝居などに出演、10年師の湊太夫死後、4代目竹本長門太夫の預かり門弟。のち豊沢団平の絃で「壺阪霊験記」を語り大好評。15年金沢に行き、新潟で病を患った。

没年月日
明治17年 4月16日 (1884年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

知恵蔵mini 「豊竹嶋太夫」の解説

豊竹嶋太夫

人形浄瑠璃文楽の太夫。1932年3月7日、愛媛県生まれ。48年、三世豊竹呂太夫(後の十世豊竹若太夫)に入門し、二世豊竹呂賀太夫を名乗る。54年、四世豊竹呂太夫を襲名したが、55年に退座。68年に三世竹本春子太夫門下として復帰し、八世豊竹嶋太夫を襲名。69年、四世竹本越太夫門下となった。94年には重要な場を語る太夫に与えられる最高格「切場(きりば)語り」となる。華麗な芸風で、男女の恋愛を主題とした世話物や歌謡的な節をともなう景事(けいごと)を得意とした。織田作之助原作の新作文楽「夫婦善哉(めおとぜんざい)」では独自の境地開拓。2002年には北野武監督の映画「Dolls(ドールズ)」にも出演した。1994年に芸術選奨文部大臣賞、95年に紫綬褒章、2008年に旭日小綬章を受けている。15年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、16年の舞台「関取千両幟(のぼり)」を最後に現役を引退。20年8月20日、88歳で死去した。

(2020-8-27)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

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