越ヶ浜浦(読み)こしがはまうら

日本歴史地名大系 「越ヶ浜浦」の解説

越ヶ浜浦
こしがはまうら

[現在地名]萩市大字椿東(ちんとう) 越ヶ浜

椿東分(つばきひがしぶん)の北西端に位置する漁村。北は大井(おおい)浦、南は小畑(おばた)浦に続き、西に笠(かさ)山、東に名切(なきり)山と馬鞍(うまのくら)山がある。浦町は笠山の東麓にあって北は嫁泣(よめなき)湊(「地下上申」では始洋湊)、南は夕(ゆうなぎ)湊(「地下上申」では越ヶ浜湊)に面する。浜崎宰判所属。

「地下上申」は名の由来を「往古奈古屋某笠山に居城有之馬鞍と笠山の間打越の浜にて御座候故越ケ浜と名付候由申伝候」と記す。

浦としての越ヶ浜の独立は、他の浦よりやや遅く、延宝四―五年(一六七六―七七)頃浜崎代官勝間田権左衛門就通が越ヶ浜を開き民家を誘致して以来浦として発達し、天和元年(一六八一)新浦取立となったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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